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飛騨の友人へ

飛騨の友人、T君へ

 50年前に金沢の大学に入って友人になったT君がいる。彼は飛騨高山の出身で、文学と音楽が好きなこともあってすぐ友人になった。サントリーレッドを呑みながら夜通し人生論や文学論を語った仲だ。
卒業後、道はそれぞれ違ったが、薄く淡く交流は続けてきた。今となっては数少ない故友だ。
 本日、飛騨地方で数回地震が起きた。地震お見舞いのつもりでメールを書いたら、とんでもない文章となった。こんなSFみたいなことを俺はずっと思っていたんだと知って、自分でも吃驚した。
 ***
 Tくんへ
おーい、地震が頻発しているようだがダイジョウブか。飛騨と信州の国境で起きているようだな。おそらく大事には至らないとは思うが、用心するに越したことはない。
世界的には新型ウィルスで、国内にあっては自然災害の到来と、我らの人生の終盤で終末論的なことが立て続けに起きている。戦後70年、人類は少しズに乗っていたな。この地球という乗り物は人間の独占物のように考えてきた。鳥類も魚類も植物も鉱物もすべて人間に与えられた果実だと誤解してきた。よく考えればそんなはずはない。地球の歴史46億年のうち、生物が出現したのが5億年前。恐竜がのさばっていたのが1億年前。ヒマラヤが造成されたのが4500万年前。類人猿が現れたのが2500万年前。ヒトが姿を現したのがおよそ700万年前と言われている。そこから人間にとっては気の遠くなるなるような時間として650万年が流れて北京原人が出て来た。そして3万年前にネアンデルタール人が滅亡して、1万6500年前に青森にヒトが居た痕跡がある。この頃は日本海が出来て日本列島になっていた。おそらく北方から南方から大陸から太平洋の対岸からいろいろな人種民族が長い時間をかけてやって来たのだろう。富士山は爆発を起こし火を噴いていた。信州の火山群も現役だったはずだ。列島の海沿いにヒトは住んだ。人種民族は交配を続けて「日本人」を形成していた。この頃まで新型コロナウィルスも森に住む獣や鳥を宿主として人間の近いところに棲息していたのかもしれない。
お見舞いのつもりでこのメールを書き始めたが、俺の関心がすこし外れはじめたようだ。すまん。でも前から気になっていたことをここに少し書く。
「日本人」がある程度たまり始めた後に、「ヒダ人」は遅れてこの島にたどり着いたのではないか。かれらは先住のヒトよりも進んだ文明をもっていた。しかも数も一桁二桁多い集団で、他とも交わることもしないでも生き延びる知恵を持っていた。海浜は先住が占拠していたので、山間に入った。進んだ文明というのは道具を作ったりそれを活用して住居を構築したりする文化のこと。これがわずか5千年前のことだと推定する。もしT君の家が先祖伝来そこに住んでいたとすれば、ヒダ人だ。俺は父が白山麓の山中出身だから距離的にはそれほど遠くないが、おそらくまったく交流のない種族だったろう。この両者が出会うのは50年前に俺たちが大学で遭遇したことで始まる。おそらく俺の町で俺以前に飛騨と交流をもつものはいなかった。たった50年の間に、人間はすべてを制服しすべて知ったつもりでいた。人類3000年は、この50年に指数関数的なスピードで急進展した。地球の陸地はすべて踏破し開発し、森を殺し川や海を汚した。地球の環境すら危うくさせることとなった。森の奥に追い詰められたウィルスはもはや逃げ場を失い、人間に牙をむいたのだ。
# by yamato-y | 2020-05-19 23:54 | Comments(0)

24時

24時

4年前にこのブログに書いた「E君」という記事を読み返した。68歳のときに書いたものだ。
江口は神戸に生まれ神戸で生きてきた。大学時代だけ金沢に住み、そこで私と出会った。業界新聞の記者として関西で活躍した。1995年に阪神淡路大震災に遭遇する。そこから20年経ったと長い手紙を送ってきた。来し方を見つめ恬淡と述べてあったが、最後の段落で数年前に癌を患い、いままた網膜剥離という「眼」を病んでいるという言葉が気になった。そこで、高山に住む谷口に声をかけて神戸に会いに行った。40年ぶりに再会を果たした。江口は大きくやつれていた。半年後に訃報を聞いた。
 江口の手紙をもらったときに書いた「E君」に、私は自分の年齢を3で割って、22・66666という数字を書き残している。人生年表を午前0時に生まれ24時に終わりとすれば、そのとき私らは午後10時半過ぎにいるということをたしかめた。だが江口は午後11時をむかえる前に死んだ。少し早いよ。
そして今、私は72。3で割ると24と出た。――そうか、ノーサイドの時刻を迎えていたのだ。感傷ではなくその数字をじっと見つめる。
うどんを食い、どんぶりを横に置いて、ベッドのそばでパソコンを打っている。シーツを取り換えに来た家人がどんぶりを見て、出しっぱなしにして、だらしない。早く片付けろと悪態をつく。




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# by yamato-y | 2020-04-10 10:00 | Comments(0)

サカイヨシノリちゃん

命ーサカイヨシノリちゃん

新型コロナウィルスの話でネットも世間ももちきりだ。家に居てネットサーフィンをしていたら、「空席に座る子」というサイトに出会った。
若い夫婦(といっても20代後半)が病気で幼児を失い、その傷を互いに癒えないまま憎しみあっているという間柄で起きたことを報告した記事。その夫婦は和解しようと、その子供が生前行きたがっていたディズニーランドへ出かけて、園内のレストランで亡き子供をまじえて食事を取ることになっていた。二人だったが、4人掛けのテーブルを予約していた。二人で座った。店内は混んできて、店員から席を替わってほしいと懇願される。生真面目な父親は実は昨年亡くなった子供の命日で、出来たらここで祝いたいと申し出る。事情を聴いた店員は謝って退いた。その後、二人の元に3人分の料理が届く。一つはお子様ランチ。そして突如バースデイソングが鳴って、サプライズのケーキが夫婦のテーブルに運ばれてきた。我が子の死後、ギスギスしていた(離婚を覚悟していた)夫婦は言葉を失い、居るはずもない愛児の席に幻がパパとママに向かって呼びかける。という「tearjerking物語(お涙頂戴)」だ。
 分かっていたけど思わず泣いた。サカイヨシノリちゃんの両親と兄の思いを60年経て想起したのだ。
  私は車の運転が出来ない。免許は一発でパスしたが、いざ路上に出ると体が強ばってしまうのだ。だから免許は70歳のときに返上したが、50年間に3回しかハンドルを握っていない。
中学校1年の春、私は交通事故を目撃した。ちょうど中学へ進学する直前の春休みで、友達と疎水のほとりで木片を船に見立ててレースをやっていた。そこへ元気のいい幼稚園生が3人ほどやって来て、このレースをしばらく見物していた。着ているスモックはグレイでキリスト幼稚園の子供らだなと気づいた。小川の流れは意外に急で木片は土手のあちこちにぶつかりながら下流へ流れて行った。「ああ面白かった」といって、ヨシノリちゃんらは帰って行った。10㍍ほど先の国道8号線に向かって走っていった。私は立ち上がって、その方向を見送っていた。先頭のヨシノリちゃんが横断しようとしたとき、下手から走ってきたダンプカーが襲いかかった。園児の小さな体をオオカミのような獰猛な口がヨシノリちゃんを飲み込みそして吐き出した。その瞬間がスローモーションとなって目に焼き付く。ヨシノリちゃんは背中をこちらに向けてポーンと弾き飛ばされた。一瞬何が起きたか混乱した。恐怖はなくむしろ驚異だった。だが、すぐにその場面は私のトラウマとなった。その後何度も悪夢を見るようになる。そして、数年後、自動車学校に通って車の運転を始めたとき、ハンドルを握ると言い知れない恐怖で脂汗が出た。
 1年経った頃、私はわたしの両親が通うキリスト教会の礼拝に出た。そこは幼稚園も経営していて、その教室を抜けて礼拝堂に行こうとしていた。そこで真新しいオルガンが設置されていることに気づいた。なにげにオルガンの鍵盤を見ると、譜面立ての下に何かが書かれていた。「寄贈サカイヨシノリ」とあった。電撃が走った。
 事故を見た恐怖、ヨシノリちゃんの悲劇は頭にこびりついていたが、御両親の悲しみなどまったく考えたことがなかった。しかし、そのオルガンを見たときどれほど父上と母上そしてお兄さんはどれほどヨシノリちゃんを愛していて、その喪失が苦しく悲しかったかを一瞬にして知った。


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# by yamato-y | 2020-04-08 23:49 | Comments(0)

ケータイの紛失―老い先の運命か

ケータイの紛失―老い先の運命か

 昨日の午前から正午にかけてケータイが行方不明になった。午前中まで電話をかけていた記憶があると思うが、どうもそれは一昨日の午前だったと家人は言う。なくしたのは一昨日の夜半の酩酊のときに目黒駅前の酒場もしくは路上で紛失したのではというのが外部の見立て。私個人の主観は昨日の午前まで枕元にあって充電していたはずと認識するのだが、客観情勢はどうも分が悪い。最近、記憶の把握がやばい。出来事の順序や物事の生起が逆転したりするのだ。おまけに記憶の出来事そのものの印象はあるが、その日時や場所などのディテールがおぼろになりつつある。つまり記憶のエッジが溶けてきている。これも古希を越えての老いの道かと思うが、周囲に言わせると昔からではないかという。
ケータイ紛失はこれで4度目だ。最初は梶原一騎未亡人の取材で訪れた練馬の原っぱで紛失。これは発見できず、番号を変更して新しいのを購入した。次は8年ほど前に訪ねたタイのチェンマイの空港だ。税関を通るとき、タイ側にケータイを置いたまま通過。周章てて引き返そうとおもうと停止を命ぜられ、それを取り返すには再入国が必要だと警告された。飛行機の出発時間も迫っていたので、次に来るときに奪還しようと泣く泣く諦めた。そのリベンジと思いつつ時は流れ、そのケータイも流れた。
3番目の紛失は何があったか失念したが、これもやはり番号変更して新しいスマホにした。買い換えたのが昨年の11月だから、まだ半年も経っていないのにまた紛失したのだ。自分の馬鹿さ加減に呆れる。とにかく一つのことに想念が集中すると、他がぽかーんと脱けるのだ。だからこれは老いの惚けでもなく元来の私の資質らしい。あほらしい。
:::
といって、洗濯機に放り込んでいたものを取り出して干そうと思ったら、靴下の片一方がない。洗濯機の水槽にも、風呂場の前にも、ベランダの干し場にもない。さっきまであった靴下の片方が行方知れず。こりゃあ、「神隠し」のたぐいが悪さをしておるんかのお。話はずれるが、季語で「桜かくし」というのがある。桜の花の季節に、季節違いの降る雪を指すという。ついでにお金をかくすのもある。

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# by yamato-y | 2020-02-19 20:57 | Comments(0)

寒さきびしき句会かな

寒さきびしき句会かな

今年最初の句会が白金で行われ参加した。名門の社中ゆえ出句の一つ一つに厳しい目が注がれる。当日3句提出の義務はなかなか気が重いものがある。
だが昨年末以来、ずっと舌頭千転を繰り返して形にした3句を恐る恐る出してみた。豈はからんや、そのうちの一句は3票も入った。この日最高位は4票だから新人としてはかなり高い評価を頂いた。その句とは。
そのかみに彫(え)りしキトラの冬の星
20年前にスクープしたキトラ古墳内の天文図を詠んだ句だ。下のフレーズ、“キトラの冬の星”の調べがよいと評価された。発掘調査が行われたのもこの日のような大寒の厳しい日であった。おおぜいの関係者が見守るなかで、ファイバースコープが天井の天文図を捉えたときはまことに感動した。1000年も前に彫られたとは思えないあざやかな星群が楽し気に輝いた瞬間は今も眼裏に焼き付いている。
ビギナーズラックか、他の2句にも選が入った。
靴下の行方不知火肥後の海(くつしたのゆくえしらぬいひごのうみ)
調べは悪くないが季語がないのが画竜点睛を欠いたと減点された。靴下はてっきり冬の季語と勘違いしていたのだ。
荒星や地平すれすれ瞬くも
提出句は「地平すれすれに」字余りだったが、削ったほうがいいと満座の意見に沿って訂正。

この日の会で最高句になったのは次の句。
一椀の白湯におさまる淑気かな
見事な造形だ。“おさまる”が効いている。白湯(さゆ)も含めて字面もいい。私はこういう志向ではないが、鍛錬を経た人の技を見た。この句会では勉強になる言葉が飛び交う。本日も、「俳句は調べが命」石田波郷とか「女の心は煮凝(にこご)り」などメモしたくなる言葉が華麗に舞った。
# by yamato-y | 2020-01-27 21:46 | Comments(0)


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