定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
カテゴリ
以前の記事
2018年 10月
2018年 09月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月

最新のコメント
こずえさん サリドマイド..
by まつおか at 18:00
突然すみません 子ども..
by タイトルがわからない曲を探してます at 15:38
コメントありがとうござい..
by yamato-y at 17:26
こんにちは。 ご無沙汰..
by なを at 10:45
まさか、前野博さんと知り..
by 稲川ファン at 03:44
ご用件分かりました。オー..
by yamato-y at 18:25
東京柳原病院在籍時、「モ..
by 有田和生 at 20:19
コメント失礼いたします。..
by MG at 18:14
私も、もう一度このドラマ..
by kaze at 20:30
こんにちは。 私も『..
by desire_san at 08:53

<   2011年 04月 ( 23 )   > この月の画像一覧

なゐ振る2

なゐ振る2


深夜2時37分、神奈川を震源とする地震があって目が覚めた。厚木などが震度3だという。これまでなかった神奈川という点が不気味だ。目が冴えたので、偶感でも書いてみようという気になりごそごそと起き出した。

枕元には、田辺聖子の新刊『古典まんだら下』がある。昨夜、寝しなに読んでいた。日本の古典文学を田辺流に詠み解いたエッセーだ。肩の力を抜いた言葉遣いで、それでいて深い知性を感じさせる文章。田辺聖子はすごい。

 この古典読み解きのなかに、「この世の地獄を見た」という章題で「方丈記」が取り上げられている。
鴨長明のこの文章は13世紀に書かれた。長明の生きた時代は政治的に激動であったが、天変地異もさんざん起きた。田辺は、保元や平治の動乱のことなど触れず、「世の不思議」だけを追う長明の姿勢を評価している。不思議とは、安元の大火、治承の辻風、元暦の大地震、などの天変地異である。

元暦の大地震の件(くだり)は、まさに先日体験した3・11の大ナマズと変わらない情景が目に浮かんで来る。
《おびただしく大地震振ること侍りき。そのさま常ならず。山は崩れて河を埋づみ、海は傾きて陸地をひたせり。土さけて水わきいで、巌われて谷にまろびいる。渚漕ぐ船はただよひ、道行く馬は足のたちどをまどはす。》
海は傾きて陸地をひたせり――まるで先日東北地方を襲った光景と変わらないではないか。長明の時代、この天変地異がひとつで止まらず、次々に起きたというのだ。

先日、句会で地震の古語が話題になった。ぢしんでなく「なゐ」と発音する。なゐは揺れるでなく振ると表現するということが話題になった。それを思い出して、俳句古語辞典を引くと、なゐの用例がいくつもある。阿波野青畝の句もやはり方丈記に言及していた。
夕顔や方丈記にも地震のこと
青畝が活躍したのは昭和初年だ。その頃もたびたび大地震が襲っていたのであろう。

しかし、今回の地震と方丈記のそれと大きく違うことがひとつある。それは原発事故という現代の「不思議」が重なったことだ。
これは天災でなく人災であるから不思議とは言わないというむきもあるだろう。だが、人類が制御することができないパンドラの箱を、何の根拠もなく開けてしまうのは、不思議としか言いようがないのではないか。

 
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2011-04-19 11:28 | Comments(0)

科学の子、アトム

科学の子、アトム

「鉄腕アトム」の駆動力は胸のなかにある小型原子炉という設定になっている。100万馬力の元は原子力なのだ。名前のアトムは原子、妹のウランは核物質、弟のコバルトも放射性元素から採られている。原子力時代のシンボルとして登場した。

この漫画の最初の形「アトム大使」は昭和26年(1951)から始まった。科学者でもある作者の手塚治虫は、戦後いち早く核の巨大なエネルギーの存在を知った。負の側面の原子爆弾の巨大な悲惨よりも原子力という巨大なエネルギー活用という正のほうに目が奪われたようだ。このエネルギーを使って、山を削って都市を作ったり、氷河を溶かして水路を建設したりと、原子力の夢を語られることが多かった当時の風潮に乗っていたのだろう。

 当時はまだ連合国軍の占領下で、広島、長崎のことの詳細はほとんど国民には知らされていない。GIたちが持ち込んできたパルプマガジンには、先述した夢の原子力利用がノーテンキに語られおり、その影響を広く日本人も受けていた。

 1950年の2月、一部のものしか見ることができないという限界はあったものの、丸木位里、俊による「原爆の図」が発表され、衝撃を与える。有志による全国展が開かれて、次第に原爆被害のことが国民の間に少しずつ漏れてはいくのだが、大きな広がりとはならない。朝鮮戦争の兆しも見えてきた時期で、GHQは原爆に関しては厳しい情報統制を強いていた。一般の国民には原爆の悲惨な被害は不可視だった。

講和条約調印で、米軍による日本占領政策が終わったのは1952年4月。その年の8月号の「アサヒグラフ」は原爆特集を掲載し、大きな反響を巻き起こした。
そして、1954年にビキニ環礁で第五福竜丸が被爆して、国民的な反核運動が高まりを見せる。これをアメリカは苦々しく思っていた。そこに割って入ってくる人物がいた。やがて、原爆と原発は切り離されて議論されるようになっていく。
その間の、反核運動と原子力政策のポリティックスを描いた新書があることを知った。『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史 』(有馬哲夫著・新潮新書)。面白そうな本だ。アマゾンで注文することにした。詳細は、読んでから。

 アトムについていえば、漫画が好評だったので、実写ドラマとして草創期のテレビに登場する。が、あまり出来がよくなかったようで放映は長く続かない。
 そして1963年。作者の手塚が自ら動いて、アニメ「鉄腕アトム」を制作。テレビ放映が始まる。毎週30分のアニメーションを、子供たちは家で見ることができたのだ。すぐに子供らは夢中になった。番組が始まると、谷川俊太郎のあの主題歌をみんなで声をそろえて歌った。♪心優し、らら、科学の子。と歌ったぼくらは暴走する原子力エネルギーなんて夢にも思わなかった。


来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2011-04-18 15:19 | Comments(0)

王様のスピーチ

王様のスピーチ

 出がけに大きな余震があったので心配したが、銀座4丁目はいつもの雑踏があった。日比谷の映画街に立ち寄った。
 旧知の少年サンデー編集長の姿を見かけたので声をかけると、「探偵コナン」の封切り挨拶にやって来たとのこと。入りも去年に比べても悪くないのでと嬉しそうな声だった。春のアニメ祭は今年も好調だ。やっぱり映画は興行ということが大きな意味をもつ。制作のエネルギーの30%は興行に注がれる。テレビは3%もない。

 映画街のなかで、ひときわ大勢の観客が集まっていたのが日比谷シャンテ。3時5分開演はもう売り切れて、3時40分開演分が20席しかないという。何の映画かとのぞくと、オスカー賞受賞した「王様のスピーチ」。話題の作品だ。3つのスクリーンのうち2つをこの映画に振り向けている。行列の熱気に押されて切符を買った。

 イギリス王室の話。ヨーク公(コリン・ファース)には人前で上手く話すことのできない吃音という障害があった。いろいろ治療を試みるがうまくいかない。そんなとき、豪州出身の言語聴覚士のライオネル・ローグと出会う。次男だったヨーク公だが、父の跡を継いだ兄が退位したため、王位を継ぐことになる。おりしもヒトラーが台頭し、対独戦の緊張が高まっていた。
そして、開戦の日、彼はマイクに向かって戦意高揚のスピーチをすることになる。吃音を乗り越えて、うまくいくだろうか・・・。というストーリーだ。
 ロイヤルファミリーのちょっと良い話という映画。少ない登場人物とシーン。歴史に題材をとった手法。なんとなく「イル・ポスティーノ」の結構に似ている。悪くはないけど、連日満員になるほどの映画だとは思えない。
と不満を、後刻もらしたら、映画好きの先輩が、主人公をヨーク公より駆け落ちした兄のウィンザー公にすれば面白いはずだがと呟く。ウィンザーはハノーバー朝系の流れだからゲルマンに親近を感じていたりして、ヒトラーに対しても宥和的だったそうだ。彼がそのまま王位にいれば英独間も違ったものになったかもしれないと、先輩は蘊蓄を語る。チェンバレン、チャーチルらが活躍していた時代というのは、世界史でもざっとしか習っていないからほとんど知らない。そんなものかと先輩の博学に畏れ入った。

 ところで、映画を見ているときの私の気分は、実はよくなかったのだ。
 会場は満員だったから、私が指定された席は最前列の中央しか残っていなかった。首を大きく上げて目の前のスクリーンに臨むことは不快を感じた。途中で、トイレに立った。
 トイレの窓からビル街が見えた。ふと、今地震が起きたらと考えると恐怖が湧いた。
会場いっぱいの客たちが四階のシアターから一度に動いて出口に殺到したらと考えると、客席に戻るのを躊躇した。
だが、映画はまだ半分しか進行していない。途中で放り出すのは嫌だ。席に戻った。
こうなると、気持ちが集中しない。気もそぞろになって、物語の筋を追うのがやっととなった。
こんな鑑賞だったから、映画の評価が低くなったのかと、稍反省。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
 
[PR]
by yamato-y | 2011-04-18 08:58 | Comments(0)

きっぽ

きっぽ

 新宿で、こうの史代さんと今度の大震災のことについて話し合った。
無残で荒廃した大瓦礫野に話が及んだ。あの瓦礫の原の隅々まで死者を調べ尽くすことは不可能で、いつかあの瓦礫の上に盛り土が載せられて姿を変えていくことになるのだろう。
自分はすべてを体験しているわけではないがと前置きしながら、こうのさんは、町が壊滅して再建していく東北の海沿いの町の姿は広島の町に似ているような気がすると語った。広島の町でも、私らが住んでいる町の下にはたくさんの遺体が眠っていてという言葉は長く言われてきた。比喩のように受け取ってきたが、今度の災害の爪あとを見ると、あの言葉はけっして比喩でなく実際のことだと痛感したと語る。広島のデルタの地下には今もあちこちに死者が眠っている。

 こうのさんは、町はきっと甦ることができると確信する。広島でも長崎でも、そして神戸で出来たのだから、東北の町々にも新しい灯がともる日が来るはずと信じていた。その際に大切なことは、被災した人たちの誇りを取り戻すこと。その誇りというのは自分たちの地域が他とは違うかけがえのない「文化」を持っていること。

文化とは高邁で難しいことを指すのではないと、こうのさんは言う。
「日常の言葉のなかに見つけることができるのです」悪戯っぽい表情になった。
「例えば、広島弁に“きっぽ”という言葉があります。昔の傷が跡に残っているのを指します。子供の頃の傷が、大人になっても残っているような傷痕です。共通語だったら、あざとしか言いませんが、そういうのとは違うものです。その表現を中国地方では独自で可能にしています。これは誇りです。」
こういう誇りをたくさん被災した人たちから見つけたい、見つけてほしいと、こうのさんは熱く語った。

 こういう例ならば、三陸の気仙沼周辺にはたくさんある。なにせ、ケセン語といわれるユニークな言語体系があるほどだ。医師の山浦さんという方が提唱してから有名になったが、元来気仙周辺で生活していた蝦夷の言葉の影響を受けて編まれた言語がある。独特の発音体系が標準語とは大きく異なっているのが特徴だ。その言葉を生み出してきた風土、気性を誇りに思うこと。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2011-04-15 11:14 | Comments(0)

変わる作品

変わる作品

 会社の玄関で、衛星映画劇場の渡辺支配人に会った。「お久しぶり。元気そうじゃないですか」とおだてられたので、お返しに「山田洋次監督の邦画100選の発想はいいですね」と褒め称えた。この4月からBSプレミアムの目玉番組となっている映画劇場の新趣向のこと。巨匠、山田監督が推薦する映画100本を2011年度のなかで紹介していこうというものだ。
 そのリストを見ると、名作といわれる「東京物語」「二十四の瞳」などは定番が入っているのはもちろんだが、「めし」とか「若者たち」「トウキョウソナタ」などはなかなかテレビ放映されない作品がいくつもある。山田監督の眼力と意外な好みを見た思いがする。

 快活に笑っていた渡辺支配人が、声を潜めた。「だけど一方で、監督は今悩んでいるようですよ。80歳となった今年、撮ろうとしていた『東京家族』がちょっと暗礁に乗り上げたんですよ」
 今回起きた東日本大震災の起きた意味を考えていかなければならない。それを作品に反映できないと、映画としては不十分ではないかと監督は自問したという。撮っている映画の作り変えを監督は悩んでいるそうだ。
詳細は知らないが、「東京家族」は小津監督「東京物語」のオマージュのような家族の物語を目指していたのだ。ところが、この天災と人災によって、日本の家族像が少し変わったと、監督は感じた。従前の台本のままでは、今という時代に向き合った作品には成りえない、書き直す必要があると、監督は危機感をもったのだ。

 そういえば、阪神淡路大震災が起きたときも、フーテンの寅さんは被災地神戸に乗り込んでボランティアに参加するという物語になっていたが、あれも予想外の展開として変更して作り変えたのではないだろうか。あのときも、すぐに時代状況を取り込んで、映画を監督は作っていたのだろう。実は、寅さんシリーズは人情ドラマだけでなく昭和を記録した優れたドキュメンタリーでもある。敬愛する先輩が、いつも寅さんの描く時代をチェックしておけと言っていたことを思い出す。

 ドキュメンタリーの骨法の一つに、変容ということがある。現実を撮影取材していると、当初予想していたことと違う事態が発生することが多々ある。そのとき、所期の構成にこだわって、最初のねらい目どおりに取材しようとすると、たいがい番組は沈没する。
発生してきた事態に取材を合わせていくことが、番組を生き生きとしたものにするのだ。
これは言うは易く、行う難しだ。簡単に路線は変更できない。経済的にも日程的にも。だが、そんなときでも、思い切って振り切ることがどれほど大切か。

 80歳という高齢にも関わらず、山田監督のこのナイーブで柔らかい精神に圧倒される、とともに軽く嫉妬する。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2011-04-14 11:46 | Comments(0)

との曇り

春はたけてゆく

 古書が高く売れないのは、65年間日本が戦争をしていないからだと、神田の親父が言った。
消失、焼失、破壊がないから、貴重な書物でもかなり残っている。だから、「洛陽の紙価」は高くならないという理屈だ。
それぐらい、日本は平和をむさぼってきたとも言える。

今回の災害はむろん戦争と比較するものでないことは分かっている。が、その破壊、不安、被害においてけっして劣るものではない。

 夢はなぜ起きて立つと忘れてしまうのだろう。時には断片が残るのはどんな理由なのだろう。
還暦を過ぎて、ますます年少の頃抱いた疑問が大きくなってくる。

 
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2011-04-13 18:33 | Comments(0)

メータ

メータ

世界的な指揮者ズービン・メータは、2011年3月、フィレンツェ歌劇場を率いて来日したが、11日、今回の大災害に遭遇した。それでも13日に横浜で「トスカ」、14日には東京で「運命の力」を演奏した。

だが、帰国命令によって日程半ばで予定されていた公演は中止となった。日本を去る記者会見で次のようなことを述べてメータは涙を流したという。「日本の友人たちのために何も演奏できず、去るのは悲しい」「音楽の力で人々を励ます場面が絶対に訪れると信じている」

メータはイスラエルフィルの終身音楽監督ということもあって、イスラエルとも馴染みが深い。イスラエル関係者の間では、「戦争が起きてもメータは来る」という言葉が囁かれている。イスラエル大使館の広報で知った。紛争をいつもかかえているかの国だが、メータはけっして召還されたことに対して欠席したことはないという。そして、言葉通りメータは再び日本にもどってきた。

 実は、この情報はイスラエル大使館から定期的に送られてくるニューズレターを参考にしている。以前、広報官の日本人女性とマイケル・ジャクソンのことで知り合いになったときからの付き合いである。彼女は、こんなことを記している。
「因みに先代の広報・文化担当官ハダス・メイツァッドがこの部隊に参加(今回の災害に派遣された救援部隊の一員)。私事で恐縮ですが、放射能を恐れる多くの外国人が先を争うように日本を脱出していく中、元の直属の上司が救援部隊を連れて日本に戻ってきてくれたこと、感涙を禁じえませんでした。」

 去る人来る人こもごも。
そして、ズービン・メータは予想どおり、帰ってきた。
4月10日、東京文化会館で開催された公演においてベートーヴェンの「第九」を指揮。渾身の演奏で聴衆を魅了し、熱狂的なスタンディング・オベーションを浴びたそうだ。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2011-04-12 13:43 | Comments(0)

青白き花陰に

青白き花陰に


今年の桜には関心がない。こんな時代に花を愛でようという気にもならない。
と考えて、昨日も図書館の帰りに目黒川ほとりの桜まつりの会場を通過したが、何の感慨も湧かなかった。桜の豊満さが何も美しいと感じられない。

むしろ、日が翳ったときにふと見上げた、白金、自然園の外郭の桜に胸をずんと突かれた。青白い桜だ。
蒼ざめた花びら、身を硬くしているような幹、痙攣するかの小枝。そこには、今年の悲劇で命を失った人たちの魂のようなアウラが浮遊していた。
 何が花だ。死んで花実が咲くものか。と悪口雑言を言い立てても、当の桜はしらっと蒼ざめた表情を見せるだけ。それが震えるほど美しいのはなぜだ。

 うらうらと照れる日曜の午後。大磯、福田恒存邸のそばを通った。垣根越しの桜がほぼ満開だった。
花はイノセントに美しい。邸には人気もなく、先に咲いた赤い椿も花を散らしていた。

 福田邸からツヴァイク道に入り、欅の大木の前を過ぎると、青葉が吹いていた。振り返ると、相模湾に江ノ島が春霞のなかにある。
 田辺聖子の最新のエッセーを読んで少し元気を出そう。滝井孝作の「松島幻想」も手元にあるが、あの壊滅の三陸風物を最後まで読み通すことが出来るだろうか。

わがふるさと敦賀も春が来ているはず。最近、何かと福島原発の「モデル」として登場する敦賀原子力発電所の映像を見ながら、喪失感を深めている。

夕暮れて、すみれ色に空が変わった頃、高田公園まで散歩。人気のない森をかそこそ歩いて、尾根伝いに公園に出ると、鶯が鳴いていた。夕暮れの相模灘は沖はかすんでいるが、穏やかな海だ。麓の東海道線を電車が明かりを灯して走っていく。
帰宅し、パソコンで動画を検索する。「北国の春」「時の流れのように」「冬隣」
千昌夫、テレサ・テン、ちあきなおみの歌声に耳を傾けた。統一地方選なんてことは聞きたくない。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2011-04-10 13:56 | Comments(0)

アウフヘーベン

アウフヘーベン

中学2年生の頃だったと思う。ボランティアに出かけていた母が、夕方遅く帰ってきた。どこまで行ったのと聞くと、近江八幡までと応える。日帰りにしてはずいぶん遠いところまで出かけたものだと、空腹を我慢しながら呟くと、母はまったく意に介さず、「あんた、シヨウってどういう意味なんや?」と問い返した。
「シヨウ?」使用、仕様、私用、試用のどれを指すのか一瞬と惑った。

 「私なあ、今日、教会婦人会の有志で滋賀県の施設に出かけたんや」母は上着をハンガーに掛けながら言った。「そこにいた子供さん、というより大人になった子供みたいなヒトがたくさんいたのや。障碍の度合いはかなりきついと感じたヒトばかり」
そこで、母たちは洗濯をしたり掃除を手伝ったりしてきたようだ。往復5時間ほどかけてご苦労なことだと、夕飯が出て来ず不貞腐れていた私は、母の問いかけにも禄な返事もしない。

 そこの施設の園長は、母たちにこの学園の名前の由来を語った。止揚学園という名称だ。
障碍という否定的なものを抱えているからこそ、一段高いレベルに上がることができる。止揚。その意味と願いをこめて本学園の名前にした、そう園長は熱く語ったそうだ。
母は、意味は分からないものの、そのリーダーの熱血ぶりに感動し、その余韻をそのまま家まで持ち帰ったきたわけだ。

 今になってみると、弁証法で使われる止揚という概念を説明したと分かる。当時はチンぷんカンだったが、なぜか気になる言葉として、止揚を覚えた。

今回の東北の災害も、受難として受け止めて、ここをアウフヘーベン(止揚)したい。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2011-04-08 19:20 | Comments(0)

北国の春

負けないで

昨夜も大きな地震があった。宮城沖の海底で起きたらしい。震度6強が最高だったからかなりのものだ。我が家でも横に大きく揺れ1分ぐらい続いた。3.11以来の大きな「余震」だ。津波警報も発せられ、仙台では停電となったから、かなりの被害が予想された。
すぐに東北、東京電力の原発施設の現況が入ってきた。女川原発の電源3系統のうち2系統が断した、他でも外部電源断による自家発電切り替え。福島原発には異常な兆候は見られない、という按配。半ば不安を抱きつつ、祈るような思いで施設の安全を願う。
 
一夜明けて、大きな揺れであったわりに被害は軽微だった。なにより死者がいなかった。原発施設も低空飛行だが墜落はしていない。おおむねほっとした。

 文楽三味線の鶴澤清治さんに連絡をとったところ、大阪公演ということで京都に居られることが分かった。電話をすると奥様が出られた。清治さんは昼最初の部の出演ということでご自宅には居られなかった。
奥様に京都の現在をうかがう。花の季節で、ふだんなら外国人の姿を多く見るのだが、今年はほとんどいない。静かでさっぱりしていていいとのこと。東京に比べて、夜のネオンはそれほど節電になっていないから明るいが、町には震災の影響が出ている。
例えば、コンビニから品物がかなり消えている。買いだめするというより、震災地に向けて送付しているから品薄になっているのではと、奥様の見立てだった。

 阪神大震災のときは、近隣の大阪、京都にはまったく影響が出なかったことに比べると、今回の被害の規模が大きいとあらためて思う。

 今朝のアサイチで、千昌夫が「北国の春」を熱唱していた。聞くうちにじんときた。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2011-04-08 12:03 | Comments(0)


その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧