定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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心の冷えのぼせ

心の冷えのぼせ

ほてりと似た症状に、冷えのぼせがある。体のほかは冷えているのに、首から上が妙に熱い、火照ったりする症状だ。これは体が冷えている状態の一つであって熱の運搬にトラブルが起きている証となる。

今、私は多忙だ。20日のオンエアーを目前にして最後の追い込みに入ったのだ。
忙しいことは嫌ではない。仕事が減ったといってこの2年間ぐずぐず言っていたのだから、番組を形にしていくことは、いつもなら心弾む仕事のはずだ。忙しいのに、心の芯が冷えている。なぜだろう。淋しくてたまらない。

何があったわけではない。ただ、知人が一人二人と他界していく。別離の日が近づいていると感じている。私なのか、他の人なのか。
人は、いや人の世はたえず常ならないもの。無常ということか。けっして同じところで止まることはないのだ。会うが別れのはじめとか。

近松の「曽根崎心中」の一節を思う。
 この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば、
  あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ
 あれ数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残る一つが今生(こんじょう)の
 鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽(じゃくめつ いらく)と響くなり

ここに流れる気分は、冷えのぼせの逆か。死地に向かうという低落する気配とはうらはらに旅立つ二人の心は高揚しているのだ。
人の存在とはまことにフシギだと感に堪えない。

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by yamato-y | 2008-03-11 21:03 | Comments(0)

星形の木漏れ日

星形の木漏れ日
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谷川俊太郎の「生きる」という詩で、忘れられないフレーズがある。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

2,3日前、首都圏ニュースの特集でフシギな現象を知った。
木もれ陽というのは光源の形になっているということだ。
葉っぱが重なりあうと、太陽光線をレンズのように集める。だから地面に光がちらちらする。そのちらちらが丸い形(○)をしているのは元の光である太陽が丸いからだそうだ。

そこで、ニュースの特集では、違う形をした光源で木に光を投下したらどうなるかというパフォーマンスをするアーティストを紹介していた。彼は星形の強いライトを木々の上から夜あてるのだ。そうすると、葉っぱを通して出来た木もれ陽はすべて星の形(☆)をしてちらつくことになった。この現象に私は大袈裟でなく打ちのめされた。その様子をリポートしたディレクターに私は感謝したかった。
木陰で、木もれ陽と出会う。そこで散乱している光はすべて太陽の子どもだということを教えてくれたからだ。

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by yamato-y | 2008-03-10 11:19 | 魂のこと | Comments(1)

冬隣り

冬隣り

今頃の時期は春隣だ。少し気分が高揚する語彙だ。
でも、冬隣りと言えば、それは秋。沈む思いだろう。その題がついた歌謡曲を昨夜からずっと聞いている。
ちあきなおみの「冬隣り」だ。you tubeで動画付きで聞く事ができる。

この歌の作詞は吉田旺。「喝采」の作者でちあきの歌をたくさん手がけている。この人はちあきの人生を予見していたのかと言いたくなるような詞を書いている。なかでも、この歌はそうじゃないか。

♬あなたの真似してお湯割りの 焼酎呑んではむせてます
つよくもないのに止めろよと 叱りにおいでよ 来れるなら
♩地球の夜更けはさみしいよ そこから私が見えますか
この世に私を置いてった あなたを怨んで呑んでます

♪写真のあなたは若いまま きれいな笑顔が憎らしい
あれから私は冬隣り 微笑む事さえ忘れそう
♫地球の夜更けはせつないよ そこから私が見えますか
見えたら今すぐすぐにでも 私をむかえに来てほしい
♪地球の夜更けはさみしいよ そこから私が見えますか
この世に私を置いてった あなたを怨んで呑んでます

この歌をちあきが吹き込んだのは1988年。韓国でオリンピックが開かれた年だ。日本もまだ元気があったから、こういうマイナーな曲は私の耳には届かなかった。
この歌から4年後、ちあきは最愛の郷鍈治を失う。喪失はちあきの歌の人生を奪った。まさに、その後の心境がこの歌ではないかと思いたくなる。

この歌を聴きながら、先般、人探しをしたことを思う。渋谷の居酒屋の女将のことだ。引退後、ご主人を亡くし、常連の中から姿を消した女将。
ようやく見つけて接触したとき、連れ合いを亡くしてからずっと泣いて暮らしてきたと、女将は語った。昔の客にも会いたくない、会ったらなんであの人だけがいないのだろうと思えて、悔しいから、誰にも会いたくない。こう洩らした。
♪地球の夜更けはさみしいよ そこから私が見えますか
この世に私を置いてった あなたを怨んで呑んでます

春はもうすぐそこに来ているのに、心を鎖す人もいる。
そのことを思いつつ、ちあきを何度も何度も聴いている。

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by yamato-y | 2008-03-09 10:22 | マイ・フェボリット・ソング | Comments(0)

遠くで汽笛を聞きながら

遠くで汽笛を聞きながら

今朝、水戸の駅で楽しい人と会った。八番線のホーム、立ち食いそばのおばさんだ。
朝早かったせいか、客は誰もいない。天ぷらそばを頼んだ。
「今朝は寒かったね、霜がびっしり降りていたよ」そばを湯がきながら、おばさんが話しかけてきた。見ると、でっぷり太った中年の女性だ。目がくりっとして愛嬌のある顔をしている。若い頃は可愛かったかもしれない。

私はそばを食べながら適当に相槌をうっていると、あれこれその女性は話す。昔はタイガースのジュリーをはじめグループサウンズの追っかけをよくやったものだと懐かしそうに話す。あれ、私と同世代かなと思って、「おばさんいくつ」と聞くと、「いやだあ、もうあんたなんかよりずっとおばあさんよ」と照れる。
「俺、この間還暦になったんだけどさ」と言うと、「え、じゃああんた22年生まれ?」と驚く。「いや23年の1月」と私。「まあ、同級生だね、あんた若く見えるね」と褒めてくれると悪い気はしない。ということで、その後、次ぎの客が来るまで昔話で盛り上がった。

その人は最近聞く歌がないということを繰り返し愚痴る。昔は森進一もよかったし、「池上線」とか「岬めぐり」なんて良い曲がたくさんあったのに、と悔しそうに語る。私もまったく共感した。

――そして、今夜。パソコンをいじっていた。YOUTUBEに進んだとき、あのおばさんのことを思い出して、「池上線」をインプットする。何と、動画で音楽が出てくる。
「遠くで汽笛を聞きながら」も久しぶりに聞いた。この画像の中に出てくる浜辺の風景が心に染みてくる。
ついつい興が乗って、10曲ほど聞いてしまった。この記事もマックのパソコンで音楽を聴きながら、別のウィンドーズで書いている。便利な時代になったものだ。タダでたいていの歌を味わうことができるのだ。これがオンデマンドかと感心する。

ちなみに、今夜聴いた曲:俺たちの旅、紅い花、無縁坂、落ち葉とくちづけ、愛燦燦、川の流れのように、渡良瀬橋、サルビアの花、テレサ・テンのI LOVE YOU、夜来香

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by yamato-y | 2008-03-09 00:01 | マイ・フェボリット・ソング | Comments(0)

偕楽園の梅

偕楽園の梅

水戸に着いて、会合まで3時間ほどあったので、夕方だったが偕楽園へ行ってみた。
バスで駅から15分ほど走って、大工町停留所から御成門入り口まで歩いた。夕方、閉園近い時間だったせいか人影は少なく、やや肌寒い。

園内は思った以上に広く、かつ梅林が見事であった。
日暮れて梅あざやかに白となり
白加賀はまだ蕾なり水戸梅林

よく見ると、梅には一つ一つ名前が付いている。形も花の色も一本一本違うようだ。
御所紅(蕾)、白加賀(蕾)、白獅子(蕾)、八重寒紅(七分)、実生野梅(七分)、大盃(満開)、未開紅(満開)、水心鏡(満開)、内裏(蕾)、月宮殿(蕾)といった塩梅だ。それぞれ名前があるようによく見ると、枝ぶり、幹のねじれ加減、背丈が異なり一本一本に個性がある。

好文という言葉の説明があった。中国の伝説で、学問をよくすれば梅の花が開くというのだ。学問の神様、菅原道真と梅の逸話もこの伝説に由来するのだろうか。

梅林を抜けて、広々とした芝の公園に出た。偕楽園は丘の上にあって、下に那珂川の流れを望む。高台の縁(へり)まで行くと、夕闇に白く川が光り、高速道路の車列の灯りが輝きはじめていた。公園の中央に大きな桜の木が亭々として聳えていた。説明を読むと、京都の御所から運ばれたもので、「左近の桜」とある。これに花が付いたらさぞかし見事なものだろうと想像する。

時計を見ると5時を回っていた。急いで、会場に向かう。

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by yamato-y | 2008-03-08 12:58 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

上野の駅から

上野の駅から

春先のどんよりとした天気。水戸まで行くために上野に出た。
今日は休暇をとった。水戸に勤務する昔の仕事仲間が、若いディレクターやカメラマンに話しでもしてくれないかと頼まれて、喜んでいくことにした。

水戸まで鈍行で行こうと思う。その前に腹ごしらえでもするか。
上野駅の構内をぶらぶら歩く。懐かしいなあ。昭和45年、仕事についた頃、この駅から夜行列車に乗って金沢へ帰る人を送りに来たものだ。あの頃の薄汚い風景はなくなったものの、どことなく田舎くさい駅だ。やはり、ここは東北への玄関口といいたい。

駅前のアメ横あたりを歩いた。立ち飲み屋が増えている。その一軒、キタオカに入って、昼からコップ酒を頼む。煮込みとフキを肴にする。しめて610円。熱燗がうまい。どうして昼間の酒は回るのだろう、コップ一杯で十分出来上がった。

キタオカを出て、アメ横を流す。昼間だというのにおおぜいの人がいる。昨日の浅草より賑わいがある。カレー屋があった。チキンカレー380円だと、安い。まぐろ屋ではぶつ切りが280円で出ていた。

2時の電車の時刻が迫ったので、慌てて駅舎に向かう。横断歩道で上野駅を見ると、映画「3丁目の夕日」で見た、あの上野駅の”原型”があった。
10番ホーム、常磐線に滑り込む。電車に乗るとすぐ発車した。

牛久を越えて、高浜というところまで来たら雨が降り出した。天気雨だ。高浜駅で特急待ち合わせで7分間停車している。周りはぐるっと田んぼだ。貫通する道路のアスファルトが雨に光って美しい。駅の土手には笹薮になっていて、濡れた竹の葉に光があたりキラキラ光っている。車内は携帯電話をかける若い女の声しかしない。
物憂い、冬の終わりの昼下がり。

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by yamato-y | 2008-03-08 09:04 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

浅草木馬亭

浅草木馬亭

昨日、浅草へ行った。10日、月曜日に撮影される「昭和を笑わせた男たち」の現地下見だ。現地は浅草木馬亭。
3時に劇場(こや)の前で待ち合わせた。ちょうど、小春びよりで穏やかな日差しの中、地下鉄を下りて、観音さまを目指してぷらぷら歩いた。外人観光客と修学旅行生が目についた。仲見世は相変わらずのにぎわいである。
奥山あたりではさすがに人影も少なかった。

木馬亭は五重塔の裏あたりにある。入り口には根岸のおばあちゃんが座ってチケットの取り扱いをしている。あの根岸吉太郎監督のご母堂だ。
昨日は浪曲大会だった。中へ入ってみると、昭和の匂いを残した懐かしい舞台と客席がある。150ほどの客席には20人ほどの年配の客が、女浪曲師の名調子に熱心に耳を傾けていた。番組のディレクター、カメラマンといっしょに、照明の具合、会場の設備などを確認する。下見は20分ほどで終わった。予想した以上にいい雰囲気の会場なので、私はすっかり満足。

劇場を出てから、ちょっと打ち合わせでもしようと、昼間からやっている居酒屋に入る。なじみの「大勝」に入ってスジを頼む。昼食がまだだったのでよかった。
10日の本番は午後5時からだ。その前に、司会のグッチ裕三さんと松尾貴史さんの二人にこの浅草界隈を歩いてもらおうと言うことで、打ち合わせも順調に終わった。

「昭和を笑わせた男たち」は150分の長い番組だ。昭和のある時期を風靡した喜劇役者、漫才師、落語家の古い映像を、今の目でもういちど味わってみようという趣旨。
登場するのは、エンタツ・アチャコ、川田晴久、トニー谷、藤山寛美、人生幸朗、由利徹、林家三平、桂枝雀。彼らが活躍していた頃の映画の映像を中心に見せようということで、ディレクターはこのところ毎夜映画の編集に追われて、徹夜が続いているとぼやいていた。

その映像を昨夜遅く見た。めっぽう面白い。エンタツの新しいこと。トニーのニヒルな嫌み。川田の哀愁。それぞれ素晴らしいのだが、驚いたのは由利徹の”凄み”だ。
終生、下品な笑いに徹した由利が見せる身体表現の美しさにはまいった。こんな逸材だったのかと見直す。

ちょっと心配なのは、古い映像の借用料だ。近年は映像の価値が上がっていて、目の飛び出るような値段がつくこともしばしばある。出来るだけ長く使用したいが、台所との関係でどう折り合えるかが、これからの大事な検討項目になる。

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by YAMATO-Y | 2008-03-07 08:51 | 新しい番組を構想して | Comments(1)

未病

未病

昨夜、タケ先生に受診する。30分の治療を終えた後、次の患者さんが来ていなかったので久しぶりに話をゆっくりした。
今、私の体は安定している。体調がいい。今年の冬も一度も風邪をひかなかった。毎冬、襲ってくる腰の痛みもこれといってなかった。

タケ先生の診療所に通い始めてかれこれ7年ほどになるだろう。自分ではまだ3、4年のつもりだったが早いものだ。
私もこの7年間で取り巻く状況が変化したが、先生も緩やかに変わっていった。来始めた頃は先生一人でやっていたが、3年ほどすると、お弟子さんが10人ほど入ってきた。
元来、鍼灸界の孤高の、というか一匹狼のような存在だったのだが、伝説の鍼灸師の名前を慕って、専門学校の生徒たちが押し掛けたのだ。先生の躾は厳しいから、すぐに4、5人に減った。その生徒たちは最後まで修行を続けた。そのうちに、一人また一人と独立して開業することとなる。
今年の初めまで、数人の生徒たちが手伝っていたが、今は一人もいなくなっている。また、元のタケ先生にもどっている。お弟子さんたちを独り立ちさせるために、この数年、先生はずいぶんがんばってきたのだなと思う。

タケ先生と私は同年だ。にもかかわらず体力は20代並みだ。毎年、3週間ほどネパールの奥深くまで巡礼して、現地の人たちの診察をしている。険しい山道を長いときは2日も歩くような旅だ。その体力を確保するため、先生はネパール行きが決まるとトレーニングを始める。午前6時起床。7時に新宿を出て高雄山駅へ向かう。8時前、駅を出て高雄山に入る。いっきに頂上を目指し、その後、迂回ルートで下りてくる。9時、再び高雄山駅から京王線で新宿を目指す。そして、10時には診療所で最初の患者を迎える。という日課をおよそ一ヶ月続けるのだ。さすが、オリンピックの候補選手になっただけのことがある体力だ。

さて、先生は私に問うた。「ここへ通って来た7年間で、最悪だったのは何時だと思います?」悪戯っぽいで目だ。
私には心あたりは、あそこしかない。
「2年前ですよ。定年になった頃」
やっぱりそうか。私が考えたことと同じだ。
「あの当時、しょっちゅう、診察の時間を失念していましたね。私もそのつど、雷を落としました。
約束を守れないなら見ないとか。」
心身が乱れていたのだ。心も体も塞いでいたと、先生は鍼を通してみていた。
「鍼はね、継続が大事なのですよ。体調が変化したことがすぐ分かりますよ。」
なるほど、病気を治すというより、病気にならないようにするということが鍼の意味なのだ。
「未病」ということを思った。


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by yamato-y | 2008-03-06 10:39 | Comments(0)

桜が咲きました

桜が咲きました
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Iさん、先日は可愛い桜の蕾を送っていただき有難うございました。
今朝、職場に出てみると、花が咲いていました。いただいて3日目でぱっと花が開いたことに驚いています。

なにより、花の美しいこと。何という桜の品種でしょうか、花が思ったより白いですね。桜はピンクを薄く羽織るものですが、この桜はほぼ白。花しべが長く多いので、おしべの先の黄色が束になって、花全体では黄色くみえます。

蕾になっていたので送りますと、Iさんの庭から切り取っていただいた桜。
あなたの住んでいる大台村は三重県ですが、山並みは吉野に連なるのではないでしょうか。
いわば、吉野千本桜を鑑賞するような心地であります。

無粋な職場の窓辺に置くと、まわりが明るくなりました。
朝一番、仕事の段取りを考えていらいらしていたことも、しばし忘れました。

花を蕾で贈ることは、なんと素敵な振る舞いかということを今回しみじみ知りました。
ありがとうございます。とり急ぎお礼まで。

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by yamato-y | 2008-03-05 12:03 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

ビルマの命

ビルマの命

大伴昌司の父、四至本八郎は戦前活躍したジャーナリストだ。アメリカに留学し、日系新聞の主筆までやったことのある米国通の新聞記者だった。

戦争が始まる前に帰国して結婚、大伴が生まれた。やがて、メキシコとの通商を促進する機関の責任者としてメキシコシティに家族を連れて赴任する。3年ほど過ごしたのち、開戦直後に帰国する。この体験を描いた本は当時ベストセラーとなる。

近衛文麿のブレーンであった四至本八郎は、占領が始まったビルマへ民政官として単身赴任する。そこで現地の人に混じっていろいろ改革を行った。善意であったとはいえ、戦争に協力した立場にあったことは後に彼の処遇で禍根を残すことにもなったが、ここでは詳しく記さない。

昭和18年当時、四至本はビルマと日本を往復していた。
あるとき泰緬鉄道を利用して帰国の途についた。クアイ河まで来たとき、鉄道建設に従事させられているオーストラリア人捕虜を目撃した。ふらふらとやせ細った体で鶴嘴をふるっていた。現地の将校が、日本へ帰る四至本八郎にこの現状を陸軍省に報告してほしいと要請した。わずかな飯とうすい味噌汁、たくわん一切れという食事では、みな餓死すると訴えたのだ。

帰国した四至本八郎はすぐに陸軍省に行き、参謀の佐藤賢了を訪ねて、窮状を訴えた。そのとき佐藤は何と言ったか。「甘い、甘い、内地の者ですら飢えているのだ。そんなことを許すわけにはいかない。」と言って、四至本を追い返した。
戦後の1957年に、四至本はイギリス映画「戦場にかける橋」を見たとき、自己の体験をまざまざと思い出した。
『戦場にかける橋』(The Bridge on The River Kwai)は、監督はデヴィッド・リーン。第30回アカデミー賞 作品賞を受賞しているが、この戦時捕虜を主題としていた。

ビルマとの結びつきは四至本家では強くなった。品川の浜田山にビルマ大使館を建てるときも箱根土地から土地を購入する手配は四至本が行った。大使としてやってきたテイ・モンはケンブリッジで学んだ経歴をもつ優秀な民族主義者だった。大東亜共栄の思想に共感して日本にやってきたのだが、いつも四至本八郎を頼りにした。戦争が激しくなって疎開することになったときも、四至本アイと大伴昌司の母子とともに群馬の八潮鉱泉に身を置くことになった。この憂国の士とともに暮らした半年は、大伴に大きな影響を与えたと思われる。

20年7月、戦局悪化でテイ・モンと四至本家に松代の大本営に移動するよう命令が出された。地下壕となっている建物に移ることを大伴少年は期待を膨らませていた。
だが、まもなく敗戦。地下暮らしは実現しなかった。大伴は後に「一度だけ、地下壕という場所に入ってみたかったな」と繰り返し母に語っている。
終戦から1ヶ月経たないうちに、MPがやって来てテイ・モンは連行された。本国へ強制送還するためだ。テイ・モンを乗せて走り去るジープの後ろ影を、大伴はずっと見送っていた。

テイ・モンは20年の秋にビルマへ連れ戻される。ビルマの港に着くという前夜、テイ・モンは死んだ。詳細は不明だ。自殺したという説もあるが、殺されたにちがいないと四至本アイは考えている。



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by yamato-y | 2008-03-04 14:12 | 大伴昌司の遺産 | Comments(1)


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