定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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あじさい忌

あじさい忌


日曜日に若林暢の3回忌法要で小平の霊園に行った。若林暢、ヴァイオリニスト。201668日没す 享年58。早い死だ。私は生前の彼女を知らない。死後1年経ったとき、ひょんなことでその死を知ることになったのだが。


梅雨のさなかのお参りであったが、運良く最後まで一雨もなかった。参拝者全員が滞りなくご焼香してご冥福をを祈念することが出来た。祭壇には花束がいくつも並べられた中に、紫陽花が混じっていた。うす紫の紫陽花はどこか寂しげで、いかにも暢さんの孤独性を表しているような気がした。司式は長年の後援者でもあった戸部師。式の冒頭に叔父上のご挨拶があり、その後順に墓前に進み出て焼香する。最後に全員で般若心経を3度唱えて式を終えた。


時折墓地に車輌音が響く。姿は見えないが、お墓の裏に西武新宿線が走っているらしい。通る度に一陣の風が巻き起こり墓苑の木々の葉裏をそよがす。日曜の昼下がり。小平霊園は人影もまばらで静寂に満ちていた。


まだ墨の色も新しい暢さんの墓碑銘に寄ると、その両側に両親の名前があった。ちちは暢さんの死より2年前に逝去、母は暢さんお半年後に昇天された。暢さんをまるで抱くかのように、3つの名前が並んでいる。暢さんはけっしてひとりではない。ご両親の愛情に包まれて安らかに眠っているのだ。


あじさい忌 父母に抱かれ 安らけく


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by yamato-y | 2018-06-19 15:47 | Comments(0)

追悼番組ではない

絵本作家かこさとしさん

今夜の「プロフェショナル」は魂に響いた。末期のかこさとしさんの生き方を描いた作品である。本年春先にかこさんの訃音を知っていたが、そのお悔みを兼ねた追悼番組かと思っていると、冒頭にテロップで、「この番組は追悼番組ではない」とえらく挑戦的な物言いから始まった。
 実際、映像は死相の出たかこさんの最後の苦闘を描いている。単に故人の業績を称揚して供養にしようという考えは、制作者もかこさんの長女も微塵もない。その覚悟はよく分かったが、それにしても伴侶よりもというか伴侶を差し置いて娘が父の末期の面倒を見るという構図が気になった。例えば名前テロップでも長女はいち早く紹介されたが、そこにいる妻は何も言及されない。何かあるのかと勘繰りたくなった。同業の深読みであろうか。

かこさんとは同郷だから親近感は昔からあった。そして15年ほど前絵本のドキュメンタリーを作ったとき、絵本作家3人のひとりとして登場してもらったことがあるが、絵本制作に向かうかこさんの真摯な態度に感動したことを思い出した。そのときかこさんの来歴をリサーチしたのだが、かこさんの戦争観はなかなか複雑であった。今回はとてもシンプルに語られて、いささか表現がアバウト(単調)ではないかと、せっかくの作品を惜しんだ。

 番組後半で次作の絵本について相談するシーンで、かこさんの呼吸が突然変化したとき衝撃を受けた。まさにわたしは息を呑んだ。かこさんの呼吸が下顎呼吸(open-mouth breathing)に変わったからだ。死の間際の人が行う呼吸ーー。
 ああこの偉大な絵本作家がまもなく世を去るかと思うと、いたたまれない気持ちになった。おそらく、視聴者にこういう思いを残すかもしれないと制作者は考えたにちがいない。だから最終章で人間の生命の設計図のエピソードをさりげなくだが深い思いをこめて制作者は置いておいたのだろう。

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by yamato-y | 2018-06-05 00:48 | Comments(0)

2018年6月のこと

日傘のぴんこちゃん

今朝、久しぶりにぴんこちゃんに会った。朝から気温がぐんぐん上がるなか、ぴんこちゃんは黄色のサマースェーター、水色のスカートそして片手に日傘を持って目黒通りを堂々とぴんこぴんこ歩いていた。脳性まひの後遺症だろうと推測するが、体半分が不自由になっていて、片側を軸にバランスをとっている。だから歩行がままならず大きく体を揺らして歩く。一度、澁谷駅前の大交差点で信号待ちのぴんこちゃんを見かけたとき、ぴんこちゃんは体を休めるためか、側道の電柱に体を預けていた。100米歩くのだけでも相当負担があるにちがいないが、そういうことにめげず、雨の日も嵐の日も、晴れた暑い日もぴんこちゃんは一歩一歩歩く。

 私だけが知っているのであって、ぴんこちゃんは私の存在など知らない。健気でおしゃれで頑張りやのぴんこちゃんにいつか声をかけて友達になりたいが、20代の女子に70のおっさん(客観的には爺さんか)がナンパするのも気がひけて、まだ口をきいたことがない。

4年ほど前、まだ仕事場に行っていた頃、あるとき気分が滅入っていてむしゃくしゃしていた。すると前をぴんこちゃんが懸命に歩いて家路に向かう姿が見えた。なんだか胸に熱いものを感じた。権之助坂の夕日がひときわ赤く燃えた日のことだ。

 ぴんこちゃんとすれ違った後、私は白金の自然教育園の森に行った。松平讃岐守の下屋敷後が広大な武蔵野になっていて国立の自然公園。料金は65以上は無料で、ときどき樹木や草花に会いたくなるとやってくる。自宅から5分ほどにあるから便利。

 初夏の園内、薄紫の花が目についた。のはなしょうぶ、くさふじ、名の知れない草花、いずれも6月の花の色に相応しい「淡さ」に好感をもった。

 林間で読書に最適のシーズン。奥の休憩ゾーンのベンチに寝転がって、昨日購入した新書『日本軍兵士』(吉田裕著、中公新書)の序章と1章を読む。今この本が売れていると聞いて奇異な気がしたが、読み進めると納得。語り口が秀逸、あの戦争を取り扱う切り口が斬新、なにより文章が簡明で読みやすいのだ。

 1例。15年戦争で日本軍兵士が死んでいった理由のひとつとして、虫歯があったことを著者は丁寧に説明する。意外な事実だが、読むうちにその論旨に次第に賛同していくように持っていかれる。

 そして内務班のなかで起きた陰惨な出来事。最近話題となる日大アメフトのコーチという古参兵のイジメと同じ構図いうか、あの戦争が敗北に終わったとき、こういう過ちを二度と起こさないと誓ったはずだが、またもや亡霊が甦ったと苦い思いにとらわれる。それにしても、あの大学の理事長、学長、理事、ヘッドコーチの面々。まるでたけしの「アウトレッジ」に出てくるままの悪相だ。

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by yamato-y | 2018-06-03 16:02 | Comments(0)

やさぐれて図書館

(図書館)めぐり/やさぐれて水無月

去年(2017)1月月末にサラリーマンを降りた。あれから1年半やさぐれて経過した。この間、一番苦労したのは一日の時間をどうつぶすか、どう生かすかだった。

退職をしたら、これまで読む時間がないと思われた浩瀚な小説評論の類を読破してやるぞと意気込んだのも最初の半月。有為の奥山けふ越えてただダラダラと無為な時間をやり過ごす。そんな日が半年以上続いたかな。

スポーツジムに通うようになって午前中の時間はなんとか充填することが出来たものの、午後の7時間以上の無為砂漠には参った。広大である。果てが見えない。

 居場所を探した。近場で、去年まで通っていた明治学院大学の図書館にあたりをつけた。ここなら家からも近いし、学生中心の利用者層で年配のやっかいな退職者崩れ(自分で自分を毀損している)はいない。なにより空いている。近くに学食があり、腹が減ったら即麺類。居心地は悪くない。ここを地盤に読書計画でも立てるかと思う矢先、大学当局から講師の身分が解消されると図書館利用の権利は消滅しますと告げられた。出入り禁止ということだ。

この2年ほど、目黒駅前の自宅から徒歩で行ける地域図書館を探し歩いた。最初が目黒川沿いの目黒区民センターに属する目黒区立図書館。徒歩で10分、至便。いまも利用している。この図書館の南側に朝倉文夫の彫像「花の影」が鎮座している。フォルムが素晴らしい。毎朝、この前を通るたびに朝倉の造形力に舌を巻き、像に向かって感謝の祈りを捧げる(偶像礼拝)

次は渋谷区の東町にある渋谷区立図書館。国学院大学の裏手にひっそりとあるこじんまりとした図書館で、これはネットの地域情報で見つけた。蔵書はやや貧しいが、近代日本文学の正典は一通りある。ここの難点は、私と同様、リタイア組のおっさんたちとさぼって休憩を貪る若いセールス人種とのショバ争いが活発なことだ。が、それほど激しいともいえない。目をつむれば都会の小さなオアシスにすぐ変貌する。

 次に見つけたのが広尾の有栖川公園の中にある、都立図書館。家から徒歩で30分、3キロ弱の道のりだが白金台地の麓をまくような路地道が続き風情は悪くなく、かつ有栖川公園自体が緑濃きゾーンで癒されること限りなし。この図書館ほどになると蔵書も充実し、毎月開かれる特集展も悪くない。周辺は大使館が多く、サッカーを楽しむ子供らの言語が何語か分からない。そばの坂は南部坂、赤穂浪士に出てくるのとは別だ。

 今年に入って通うことにしたのは、高輪の清正公神社近くにある港区立高輪図書館。大きな道路に面した交通の便が良い図書館だ。我が家からプラチナ通りのドンキまで10分、そこから図書館まで10分、合わせて20分の道のりだ。規模は渋谷の東図書館と同じくらい。昼過ぎは復習予習に熱心な小中学生が机を占拠している。珍しい本や稀覯本はほとんどない。図書館というより本のテーマパークもしくは本の児童遊園。

 この半月せっせと通っているのは、大本山国会図書館。六本木1丁目まで地下鉄で行き、そこから永田町まで歩く。およそ20分。国会ゾーンに入ると、至ところに警察官の姿が現れる。慣れないうちは身構えたが、今じゃ気にならない。

 敷居の高い図書館かと畏れたが、IT化が進んで短時間で希望書と出会える。特に貴重な書籍資料はデジタライズ化されているから、取扱いに気をつかわなくてよいことと、気楽に貴重本を請求できることはナイスだ。ただし、ここでは知り合いと遭遇する機会が高い。この一か月で私は4人の同業者やライターの方とばったりエンカウンター。 

こうして1年余り、図書館に関することだけ精通するようになった。別に真面目に人生を送ろうなんて殊勝なことを志していない。所得がない以上、可処分は最少にせざるをえなくなり、いきおい無料の公立図書館に足が向くようになっただけだ。
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by yamato-y | 2018-06-02 16:10 | Comments(0)

若葉風に吹かれて

広島にまた来た

一昨日から広島に行き、来週放送予定の企画のロケに立ち会ってきた。行くとき東京は冷たい雨が降って最悪のコンディションだったが、新神戸を越えたあたりから天気は回復し、広島に着く頃にはすっかり晴れていた。
太田川本川、元安川、天満川、太田川放水路、どれも水を満々とたたえて美しい。やはり広島は川の町だ。その川筋を包むように並木の緑が光る。新緑はまさに光り輝いていた。

 戦争やテロで倒れたオリンピック出場者(選手だけでなく役員も含む)オリンピアンの話題を追っている。この町に住んでいたひとりのオリンピアンにスポットを当てて、その生涯を浮き彫りにしようと太田川放水路まで足を運んだ。詳しい内容は、来週金曜日の放送を見てほしい。

 平和公園に行き、原爆資料館で戦前のスポーツ事情や原爆後障害の記事を探した。現在、資料館の一部は耐震工事の改修が行われていて、展示物がいささか減少してちと寂しい気もするが、おおぜいの欧米人が訪れていることに感銘を受けた。

 本日、本川の川べりで撮影をした。ドームを遠望すると、公園の緑の海のなかにぽっかり浮かぶ浮標(ブイ)のようだ。本当に緑が美しい。原民喜が「永遠のみどり」という詩を書いてあることは1993年に同名のドキュメンタリーを作ったときに知った。「ヒロシマのデルタに若葉うづまけ死と焔の記憶に よき祈りよこもれ」。まさに、今日見た平和公園のデルタの姿だった。しかし緑でどれほど励まされようと、被爆の記録と記憶を目の当たりにすれば、粛然とならざるをえない自分を発見する。
 あの日、おおぜいの学徒が熱い焔に焼かれ、この川のほとりで苦しんだことを思えば、あざやかな緑もどこか翳りを帯びた気がした。

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by yamato-y | 2018-05-11 23:26 | Comments(0)

毎日が黄金週間

これといって変わりなく

世間は連休で華やいでいるようだが、身共にはさっぱり影響などない。当然か。齢七十にしてほとんどの「公職」から降りた身の上では、新たな風など吹くわけもない。
この数日は近くに出来たタリーズのテーブルにどっかり腰を下ろして、読書とパソコンの三昧に明け暮れておる。テレビを見ても新たな発見興奮を催すようなものも多くなく、定時のニュースの看板だけ見るということが続いている。あれほどテレビ人間だった我が身の変わりように自ら呆れている。
その代わり、新しい図書館をまた開拓した。現在の住所は品川区だが、外れで周りは港区と目黒区が隣接している。これまで目黒川沿いの目黒区民センター付属図書館を利用してきた。スポーツジムも傍らにあって利用しやすいのだ。難点は蔵書が新しくもなく古くもない中途半端なこと。4年ほどの間に読みたい本がすっかり減った。
困っていたら、港区の高輪図書館を見つけた。方角は目黒と真反対だが、距離はほとんど同じ。なにより新しい作品が多いことが嬉しい。と言って、本日借りたのは青柳いずみこ「青柳瑞穂の生涯ー真贋のあわいに」。これを夕方から読み始めたのだが滅法面白い。瑞穂の骨董噺は以前から聞いてはいたが、これほどたいしたものだとは知らなかった。作者は瑞穂の孫娘。ピアニスト、音楽評論家としては知られているが、かくも文学や骨董に造詣が深いとは知らなかった。文章も達者だ。とにかく今夜はこれに没頭することになるだろう。

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by yamato-y | 2018-05-02 20:59 | Comments(0)

瑠璃色の週末

瑠璃色の週末


水曜日から京都へ出た。フランスのクラシック界を代表するリュドミラベルリンスカヤさんのぴあの演奏会に立ち会うことがまず第一目的。例によって、このコンサートの仕掛けは若林暢財団がすべてをしきっている。つまり橋本女史の深いみむねで、大学の1ほールを活用して、「楽譜のメディア性」というレクチャーコンサートが開かれたと言って過言ではないだろう。「イベント」は第1公演と第2公演の2部になっていて、一部は杉本ゼミの学生たちへの授業。そして2部は市民への演奏会となっていた。

午後3時半からの2部は予想以上のオーディエンスが集まり、充実した音楽会と なった。春の穏やかな昼下がり、京大農学部の益川ホールでは熱い音楽会が開かれていた。むろん、このイベントの目的は、「若林暢を偲んで」ということであった。

長時間の緊張が解けた打ち上げではリュドミラさんをはじめスタッフははしゃいだ。それほどコンサートは充実し愉快な時間だったのだ。


この打ち上げを終えて京都駅に向かう。私は前日発生した課題を解決するため広島へ飛ぶことになった。忙しい、でも楽しい。


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by yamato-y | 2018-04-14 18:55 | Comments(0)

春たけて/花はどこへいった

花はどこへ

今年(2018)の春も長けていく。たけるは門構えに東を挿入したような字だがパソコンで転換しても出てこない。だから春が深まっていくを長けるとしておく。金沢大学の前身旧制四高の寮歌に、「北の都に秋たけて」というのがある。入学したての頃に習って、宴会では大声を張り上げたものだ。そのときこの長けるという言葉を覚えた。季節が深まる、成熟するというような意味だ。この言葉は秋より春のほうが相応しいと私は思うのだが、いかがだろう。

 先般、松本の旧制松本高校記念館で、各地の寮歌を聞かせるコーナーで久しぶりに「北の都に」を聞いて、たけるという言葉が懐かしくなった。
 桜の時期も先週末あたりで終わった。今年も目黒川にはおおぜいの見物客が押し寄せた。とりわけ外国人の姿が目についた。いつも通っているスポーツジムが目黒川の川沿いにあって、朝早くから賑わっていた。2年前から宴会禁止となって、花見にはよい環境が整った。
 桜若葉となってからは観光客もめっきり減って、保育園の園児たちの手つなぎ散歩が見られることがうれしい。おそろいの黄色い帽子、ちっちゃな足下、ピーピーさえずる口元、みんな愛らしい。ときどき目が合うとじっと見つめてくる。そのまっすぐなまなざしについ感動してしまう。

 松本へ行ったとき甲府盆地の山間で山桜を見た。平地の桜とちがって色が淡く、枝も細く、楚々としていた。万緑の中にぽっとともる山桜、心に沁みる。奥田元宗の桜を思いだした。

 恵比寿の駅から渋谷に向かう明治通り、澁谷橋を越えたあたりからしだれ桜の並木が続く。
枝垂れは本桜より花の時期がやや遅い。桜が満開の頃もしだれはまだ花を持たない。そのときもそうだった。私の前に同世代かやや年少のおばさんが4,5人歩いていた。「花が遅いわね」「まだ時期じゃないんでしょ」「花はどこへいった」と言って大笑い。
 思わず顔がほころんだ。この話柄は今の若い人に話しても通じないだろうなあ。

 昭和40年、フォークブームが始まった。みんなギターを手にした。私はヤマハのフォークギターが欲しかったが、値段が高くただのガットギターにカポタストを嵌めていた。歌いたかったのはピーターポール&マリーの曲「パフ」や「500マイル」。なかでもコード進行が簡単な「花はどこへいった」がお気に入りだった。名手ピート・シガーが作ったこの曲は反戦歌の名作と言われた。ベトナム戦争が世界を覆っていた時代だ。
where have all the flowers gone
花はどこへいった
野に咲く花はどこへいった、少女が摘んだ。少女はどこへいった、男の嫁にいった。男はどこへいった、戦場いった。そして男は戦死して、墓へ入った。その墓は花で飾られた、というような内容の詩だった。歌の真の意味はつかめず、花はどこへいったという表現が好きで、歌っていたと思う。歌いながら、花はどこへいくというのはどういう現象かなと小首をかしげながら歌っていた。
 おそらく件のおばさんたちもいつも不思議に思っていたのだろう。だからしだれ桜の「花はどこへいった」という言い方がぴったり状況とはまって、みんなで納得の大笑いになったんじゃないかな。

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by yamato-y | 2018-04-04 12:24 | Comments(0)

早春の松本

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早春の信濃路

昨日から松本に来ていた。春から始めたオリンピアンの取材のひとつとしてだ。
今から80年も前の、ロサンゼルスオリンピックに出場した選手の遺族を追ったのだ。その人物は水泳1500㍍のTさんだが、むろん本人は現存しない。太平洋戦争末期の南方の作戦で戦死したということになっている。その遺児が松本に住んでいると聞いて私は足を運んだ。
春3月に信州を訪れるのは20年ぶりではないだろうか。大月から列車が谷を登って行くにつれ久しぶりに心が轟いた。山々の峰に純白の雪渓が輝くのを見たからだ。まさに「白きたおやかな峰」だった。何か遠い昔にした忘れ物を取り戻しに行くような錯覚をもった。

 お目当てのTYさんとは長時間にわたり話を聞いた。昭和16年生まれのその人は3歳のときに父が出征したのだからむろん記憶などない。だが母から聞いた父の肖像をその人はいきいきと語ってくれた。むしろ、父が戦死したあと、女手ひとつで二人の男子を育てた母親のポルトレに時間が多く割かれたと言っていいかもしれない。詳しくはまた別稿で語ることにしよう。

今朝、信濃毎日新聞の縮刷版を読もうと思って、縣の森の図書館へ行った。そこは旧制松本高校の校舎をそのまま保存した施設で、建物の一部は旧制高校の資料館展示館となっていた。あいにく図書館は休館だったので、その資料を見学して帰ることにした。それぐらいの気持ちであったが展示された種々の展示を見るうちに、何か青春の迸るようなものを感じて呆然とした。
あの北杜夫が松本高校に在籍していた、そのことは知っていたが、彼の在校時代に書いた寄せ書きなどを読むにつれ青春のほとばしりをじわじわと感じ入ったわけだ。
陳列のなかに、旧制高校のナンバースクールの校歌、寮歌を聴かせるコーナーがあった。思わず、私の出た学校の前身四校の「北の都に秋たけて」のボタンを押して、その曲に聞き入ってしまった。気がつくと誰もいない展示室でひとり聞きふける七十の男というのもおぞましいが、そうは言っていられないほどせっぱつまったものを、そのとき持った。
展示の終盤で、旧制高校を卒業した有名人というコーナーがあって、そこに井上靖の詩「流星」が掲げられていた。四高の先輩である井上が、その昔内灘砂丘に身を横たえて見た流星を叙述した作品で知ってはいたが、この場面でそれを目撃すると思いはひとしおとなった。

ほほを紅潮させて松本高校の門を出ると、正面に残雪の美しい常念岳が見えた。まさに、北杜夫が描く「白きたおやかな峰」。今口を開くと、この夢のような時間が消え入りそうで、私は黙したまま松本の駅までひたすら歩いた。

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by yamato-y | 2018-03-31 23:22 | Comments(0)

水仙と

水仙


寒い日が続く。毎朝通うジムも人が少ない。朝一番はとしよりにはこたえる寒さだ。目黒区民センターの周りにはプールやテニスコートがあるスポーツ公園だ。至るところに植物がある。ケヤキの根方に今日

水仙が黄色いはなをつけていた。春が間近だ。

よく見ると、水仙の茎が途中から折れて地に跪くようになっているのがある。同情したくなるが、でも花は毅然と咲いている。少しもひくつになっていない。


自宅まで戻って来ると、家の前の駐車場の山茶花がほんのわずかだけ白い花を残していた。一冬持ちこたえていたのだということに気づいた。


最近、口には出さないが愚痴が多くなっている。つまり腹の中に溜まっている。ドカンと爆発してやりたいが、それも古希の矜持を破壊するからそんな愚かなこともしたくない。まあ、花の命でもじっと見つめるか。

水仙や倒れしままの花一輪


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by yamato-y | 2018-02-23 14:32 | Comments(0)


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