定年再出発  

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山茶花

山茶花

先週、まだ冷え込みが始まっていなかった日のことだ、道ばたの山茶花が突如ハラハラと白い花をまき散らした。夕暮れが近かった頃だ。

 山茶花の在りし高さや香のフーガ

これほどキツイ香りを山茶花が残すとは思わなかった。楚々とした風情で秋風に揺れるほどの仕草しか出来ない弱虫と侮っていた自分が恥ずかしい。そういえばだが、この花は開花してからなかなか花が散らないしぶとさを持っていたことにも気づいた。

 花が散ったあと、辺りに強烈なあまい香りを残した。若い女ではなく、年増の「あまさ」だ。ぎょっとした。ここにいたことを忘れちゃいやだよと伝法な女が語っているかのように。語るのは山茶花の木なのかそれとも一枚一枚の花びらなのか-。

散った後から香りが立ち上がる。まるでフーガ(遁走曲)だ。

 「面影」のように、非存在が存在として立ち現れる詩歌の名作はけっして少なくない。蕪村には2つもあって有名だ。

 ちりて後おもかげにたつ牡丹かな

 いかのぼりきのふの空のありどころ

こんな巨匠と並べるのも烏滸がましいが、前からこの仕掛けをやってみたいと考えていた。すると近所の家の前栽の山茶花が眼前で散ってみせた。

この時期、銀杏の大量自決にばかり目を奪われていたが、今秋は思いがけない眼福に遭遇。

六十路に入ってから、さるすべりや山茶花といった木の花に惹かれることが増えた。おのが自身も木の葉髪になっていくからかなあ。


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by yamato-y | 2018-12-10 16:41 | Comments(0)

ミュージックサイレン

ミュージックサイレン


小学校の頃と思うから60年ほど前の思うあったことだ。つい昨日のような記憶だったが、実際には半世紀以上の時間が流れている。自分では自分の幼年時代なんてまだ過去にもならない過去だとなめていたが、こうやって実際に年数を調べるととんでもない大過去になっていることに気づいてしまう。

当時、朝夕に時刻を知らせるために大きな音量の音楽がスピーカーを通して流れていた。サイレンの一種で音楽が流れるのだ。西欧でもそういう教会のチャイムがあるからこのミュージックサイレンも世界共通のものだと思い込んでいた。ところがこれはヤマハが独自に開発したものであるということを今回知った。戦時中戦闘機のプロペラを作っていたヤマハの工場は空襲で木っ端みじんに打ち砕かれた。戦後再開した工場では朝晩の始業終業にこのミュージックサイレンを使った。戦争中の空襲警報を想起させるサイレンはごめんだという気持ちかららしい。円盤のディスクが高速回転して圧縮した空気が振動して音が出る仕組みらしい。これを使えばメロディが出来る。そうやって赤トンボとか夕焼け小焼けのメロディがそれぞれの地方に流れたとウィキペデイアは書かれてある。


それぞれの地方でその地固有の音楽が流れた。ふるさと敦賀では「ボルガの舟歌」が流れた。戦前、敦賀は国際貿易港としてソ連のナホトカ、ウラジオスロックと航路を結んでいた。実際に日本から大陸へ行くのにこの航路を使ったという記録が太平洋戦史を読むと出てくる。いずれにしろ敦賀とソ連(今のロシア)と縁が深いということで昼や夕方には町全体に「ボルガの舟歌」が流れたものだ。特に昼飯時に流れるのは強烈に記憶に残っている。まだ土曜日は授業があって半ドンの時代だ。4時間の午前中の授業が終わると、掃除が終わると下校となる。すっかり時刻は正午を回っている。小学生の育ち盛りにとっては空腹の極みだった。「ああ何か食べたいなあ、腹減ったなあ」と恨みがましい思いをかかえながら下校した。そのときにボルガが流れてくるのだ。♪エイ、コーラ エイ、コーラ。もうひとつエイコーラ

歌詞はない。メロディだけだ。聞いていると次のように聞こえてくる。

「ハラ減った メシ食わせ ハーラ減ったメシ食わせ」

土曜日の昼下がり、みじめな思いに駆られて一目散に家へ帰った。だが帰ったとて満足な食い物などあるはずがない。せいぜいふかしたサツマイモが関の山だった。あの頃なぜあんなにおなかが空いたのだろうか。そういう学齢だったのか。そうじゃなく日本全体がまだ食料が圧倒的に不足していたのだと、今になって発見したりして。好き勝手なことをしてきた団塊の世代と言われるが、結構つらい目に遭っているのだと、子供らに言い張りたい気分で、ミュージックサイレン復活のニュースを読んだ。

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by yamato-y | 2018-11-27 21:24 | Comments(1)

ヘルプ

ヘルプミー 


 同窓会というのは四十代が一番多かった。50,60と超えてきて振り返るとほとんどお誘いがなくなったに気づく。当方が引っ越ししたりして居住が判らなくなったせいかもしれないが、主観としてもそれほど昔が恋しいという思いはこの20年の間なかった。

今まで一番長く住んだのは大磯だ。1994年から2017年までおよそ23年間。最後の5年は大磯と目黒の往復だった。次に長いのは故郷敦賀の18年間だ。生まれてから大学進学するまで親兄弟と狭い小さな官舎で暮らしたこと。金沢4年、大阪4年、東京荻窪4年、武蔵小杉3年、長崎4年、東京成増7年、広島3年、そして大磯が23年だ。


 完全退職の昨年からずっと東京山手を歩き回り、日本の近代史のあとをたどることを面白がってきた。一昨日も駿河台の文化学院を探訪して戦前の謀略放送の遺跡を楽しむ途上、山の上ホテルで作家たちの夢の跡を味わうこともあったが、さらにその途上、金華小学校あとも目撃した。夏目漱石が通った学校だ。そのあと水道橋、飯田橋から早稲田へ抜ける長道を歩き通して、漱石の生活圏というのも実感することができたのは思わぬ収穫だった。

 などという「歌枕」のような話をするつもりで、これを書いているのではない。東京を歩き回れば回るほどあの小さな町敦賀が懐かしく思えてならなくなった。


 日没がだんだん早くなり、本日は午後5時半でとっぷり暮れた。たそがれの広尾の台地に立って、ぽつぽつ明かりの町並みを眺めているうちに言い様のない寂しさがこみ上げた。ふるさと敦賀の少年時代の夕景を思い出したのだ。何もなかったあの頃、至るところにあった田んぼと空き地。秋になれば稲穂がたれていた田んぼ。脇を通ると、どこからか虫の音が聞こえたものだ。銭湯の脇を抜けると、下水に人懐かしい湯垢の匂いがした。駅前まで行くと志那そばの屋台に数人たかっていた。みな影絵の世界だ。


 今企画立案のため、1964年の東京オリンピックの舞台裏を探っている。中学生の頃だったと記憶するが、秋期運動会で「五輪音頭」をフィナーレで踊らされたことがあった。当時、国家的行事として全国津々浦々までオリンピックを寿ぐことが行われたのだ。北陸の小さな町も例外ではない。男子なのに、なぜ踊りなんてこんな恥ずかしいことをやらせるのかと憤懣が一杯だったが、今となっては懐かしい。三波春夫の歌がよみがえってくる。こんな思い出が今私のなかでふわふわとよみがえるのだが、語る相手がいない。かつてなら数年に一度の同窓会で、そういう仲間を見つけたものだが、70になるとない。このノスタルジアというのが厄介で、無視しようと決意するのだが、すぐにリベンジされて、往事を偲ぶ出来事に思いがかられてしまう。やっかいだなあ。

おーい、ナカムさん。たまにはネオくんやカナイくんやミツナガさんらを呼んでみんなで集まってみないかい。


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by yamato-y | 2018-10-09 21:41 | Comments(0)

2つの思い

アンビバレンツな思い

先週、品川図書館から借りた「伴侶の死」(1989年)という文庫本に衝撃を受けている。38年間連れ添った夫の癌による突然の死に、呆然としながら次第にその死を受け入れていく妻の内面を記した記録だ。作者加藤恭子は当時(昭和63年)大学の教師であり、夫は国際的にも著名な発生生物学の研究者加藤淑裕。食道癌と病因が特定してからわずか2週間ほどで急逝するという劇的な幕開けから始まり、死後夫はどういう人物であったかという夫探しの「旅」を軸に、この夫婦の生き方、生き越してきた過程が丹念に書き込まれている。

享年63という伴侶淑裕の早すぎる死。今の私より7つも年少で、早すぎる死を突然むかえた夫の心境は私にも分かるようで分からない。たしかに私自身、47歳で脳出血を発症し、63歳で胃がんの手術を受けるという体験を持ってはいる。危険水域まで進んでいったが、それでも医者から胃を三分の一切除すれば緩解するだろうと説明を受けたので、まだ持つだろうという楽観的な気分をもっていた。自分はまだ深刻な老年期にいるわけじゃないという根拠のない自信がなんとなくあった。いずれにしろ死の影に怯えることもなく病気をやり過ごしたので、この加藤淑裕のケースは自分でもなかなかうまく把握できず、ましてや連れ合いで59歳の「若さ」で苦悩する加藤恭子の悲しみはおそらく半分も理解できていなかった。これが読書する当初の感想。ところがこの書を読み進むと、そのしずかで悲痛な筆致にぐいぐい私は引き込まれていく。

なかでもプログラム死と現役死という本書で提示された概念が頭に染みついて離れない。

刀根重信の説くプログラム死。受精卵から発生していく過程で、すべての細胞が器官形成に参加するわけでなく、なかには途中で死んでいく細胞もあるという。そういう細胞は死が最初からプログラムされているというのだ。例えば哺乳類などでも最初水かきになるものが発生しているのだが、その細胞もある段階では死んで、指が分かれるという。この細胞などはそういう死のプログラムをもって登場し、しかるべき段階で死ぬのだ。プログラム死。

人間の死のなかにもそういう死があるのではないかと、作者加藤恭子は語りかける。慄然とした。あらかじめ私の中にも死がプログラムされているのではなかろうか――。

一方で、早すぎたかもしれないが仕事をしている現役のなかでの死は死者の望むべきことではなかったかという証言もあったと作者は書いている。この説にも私は深く心を奪われた。

昨年69歳で会社を退社した私はその後の“余生”はけっして歓迎すべき時間とは言えない。むしろ無為の恐怖のほうが大きい。一日一日が長く感じる。こういう老いの日々のなかで緩慢な死を受け入れていくことの困難さを思うと前途茫々たるものがあるのも事実だ。現役の中の死も悪くはないのではないか。・・・

この死に対する2つのアンビバレンツな思いが脳裏でぐるぐる回っている。

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by yamato-y | 2018-10-04 07:19 | Comments(0)

複雑な気持ち

複雑な気持ち


昨夜打ち合わせで渋谷に出た。台風一過で町は普段以上に賑わい、たくさんのインバウンドたちがナイトツアーを楽しんでいた。町に平和が戻った感じに少しセンチメンタルな気分に私はなっていたかもしれない。

9時近くのスクランブル交差点まで戻ってくると号外を配る人がいて何だろうと訝しんだ。まさか内閣改造で刷ったわけでもないだろう、今回の台風被害かと暗い気持ちになったが、ノーベル賞に日本人が選出されたと知って少し気持ちが高揚した。

山手線のホームに上がると、ちょうど内回りが発車寸前であわてて飛び乗る。女性専用車両だったらしい、周りはほとんど女性。息を切りながらつり革をもつと、前の若い女性が腰を上げてどうぞと手招きした。一瞬何のことか判らないまま驚いているとその人は立ち上がって待っていてくれる。どうやら席を譲られたらしい。あわてて手を振ってお礼を言ってその場を離れた。

――そうか、私は庇護される対象とみられたか、老人なのだ。なんとも苦いものがこみ上げてきた。車窓に映る自分の影がこころなしか弱々しい。秋の深い夜の闇を切り裂くように山手線の列車はガーデンプレイスの丘を下った。


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by yamato-y | 2018-10-03 00:29 | Comments(0)

目黒の月からふるさとを偲ぶ

目黒の月からふるさとを偲ぶ


11階建てのマンションの屋上に上がり924日の月を探した。中秋の名月は恵比寿方向の中天にあった。やや赤みを帯びていたが、真円の月は威厳と温順があった。

弱小の雲々が回りにあって刻々と月を隠したり消したりするが、月は気にしていない。すっかり雲が切れて顕現した月道を悠々と歩んでいく。

名月やで有名な句とネットで探ると、芭蕉「奥の細道」敦賀の段が出てきた。そうだすっかり忘れていた。細道の最終地は敦賀で、ここで名月を愛でることに芭蕉は山中温泉あたりから計画して旅を終えようとしていたのだ。ところが敦賀ではあいにくの雨で愛でる機会を失い、負け惜しみのような句を詠んだとジモティから聞いたことがある。

 名月や北国日和定めなき はせを

今年の東京目黒で見る月はまことに穏やかで美しい。はせを翁の句に並べるのもおこがましいが、一応記録として拙の句もここに置いていく。

 名月や雲の遅速も低くみて


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by yamato-y | 2018-09-24 20:16 | Comments(1)

神戸から戻って

ただいま。金曜日、夜8時に目黒へ戻ってきました。神戸の学園都市にある神戸外国語大学で夏期の集中講義に行っていました。月曜日から金曜日まで、15コマ。途中でダウンしましたが、学生の熱いまなざしに支えられて完走しました。
 今回すごく新鮮だったのは、単科大学だが、2部も持った豊かな学部だったということ。
時間割を見て1限から7限まであるのを知って最初当惑した。授業の最終が午後8時まであるなんてどういうことかと戸惑った。1部は5限までで、2部はそれ以降から始まる。
集中講義はその1部と2部の学生が入り交じるのだ。しかも2部の学生は社会人だったり年配者だったりでこれまでやってきた大学の授業の雰囲気がまったく違うことに驚き、興奮した。

何が違うといって、普通の大学の授業は、学生はほとんど発言しないし、質問をしてもなかなか答えない。だがシニアの学生はしっかり発言もするし、好奇心も露わに旺盛。ずんずん当方へ突っ込んでくる。つまり講義に対して貪欲、積極的だ。これがいい。
 こちらも懸命に授業プランを構想して講義に臨むのだから、それぐらいの情熱はむしろ嬉しいし楽しい。

 今回の大学は、かの島尾敏雄が教鞭をとっていたところであり、我々世代のヒーローだった高田賢三が通った大学だ。環境は最高。神戸の谷間にあるキャンパスはこじんまりと麗しいたたずまいだった。さあ、今から彼ら彼女らのコメントペーパーを読むことにするぞ。

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by yamato-y | 2018-09-14 21:30 | Comments(0)

新しいパソコンで

久しぶりのブログ

4台のパソコンを所有するが、どれもブログの記事が打てないほど劣化していた。新しい機種を購入するべきか否か迷っていた。だって、後何年生きるか、現役でいるか見通しがつかないのに所有しても仕方ないじゃないと金を惜しんでいた。記してみてわかるが、最近の私は年寄りのひがみが相当顕在化している。どうせ俺なんてというか、体力も落ちてきたのにとかマイナス要因がたえず沸くような「晩年」を迎えているようだ。

ところが孫ができた。聞いてはいたがこんなにかわいいとは思いもよらなかった。庇護する苦労がないから、ただひたすら可愛い愛らしいと慈しむ一方。我が子よりさらに愛しさはつのるばかり。加えて、今年の暮れにもう一人孫が生まれる予定となった。

 友達はもう10年も前から孫がいたけど、私には無縁だと覚悟していたら、70歳の声を聞くと相次いで、息子と娘のところに新しい命がともったのだ。これをブログに書くかどうか迷った。子供を持ちたくても持てない悲しみ切なさは、この10年ずっと感じてきたことだから、自分の境遇が変わったからといって手放しでよろこぶのは不謹慎だと考えたからだ。でも孫には罪はない。やはり生まれてきてくれたことを感謝すべきだと考え直して本日新パソコンの最初のワードで記すことにした。

近況報告。毎日が日曜日という状態が昨年の2月来続いている。それでも今年3月まで、明治学院大学での授業は続けていた。それも終わった。

 京大の夏期集中講義が先々週あり、久しぶりに連続4日の15コマの長丁場を乗り切った。へとへとになったが、精神は充実していた。やはり若い世代とふれあって対話することは楽しい。

そして、明日から5日間にわたり、神戸外国語大で集中講義を行う。ここは初めての場で、期待と不安が今相半ばしている。でも新しい出会いはいつもワクワクするものだ。

本日は、我が家の前は「目黒さんま祭り」で大賑わい。午後2時過ぎまでサンマを焼く青い煙がずっとたなびいていた。こういう平穏が長く続くことを願う。今年の夏先から続く天災には胸が痛む。


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by yamato-y | 2018-09-09 17:19 | Comments(0)

あじさい忌

あじさい忌


日曜日に若林暢の3回忌法要で小平の霊園に行った。若林暢、ヴァイオリニスト。201668日没す 享年58。早い死だ。私は生前の彼女を知らない。死後1年経ったとき、ひょんなことでその死を知ることになったのだが。


梅雨のさなかのお参りであったが、運良く最後まで一雨もなかった。参拝者全員が滞りなくご焼香してご冥福をを祈念することが出来た。祭壇には花束がいくつも並べられた中に、紫陽花が混じっていた。うす紫の紫陽花はどこか寂しげで、いかにも暢さんの孤独性を表しているような気がした。司式は長年の後援者でもあった戸部師。式の冒頭に叔父上のご挨拶があり、その後順に墓前に進み出て焼香する。最後に全員で般若心経を3度唱えて式を終えた。


時折墓地に車輌音が響く。姿は見えないが、お墓の裏に西武新宿線が走っているらしい。通る度に一陣の風が巻き起こり墓苑の木々の葉裏をそよがす。日曜の昼下がり。小平霊園は人影もまばらで静寂に満ちていた。


まだ墨の色も新しい暢さんの墓碑銘に寄ると、その両側に両親の名前があった。ちちは暢さんの死より2年前に逝去、母は暢さんお半年後に昇天された。暢さんをまるで抱くかのように、3つの名前が並んでいる。暢さんはけっしてひとりではない。ご両親の愛情に包まれて安らかに眠っているのだ。


あじさい忌 父母に抱かれ 安らけく


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by yamato-y | 2018-06-19 15:47 | Comments(0)

追悼番組ではない

絵本作家かこさとしさん

今夜の「プロフェショナル」は魂に響いた。末期のかこさとしさんの生き方を描いた作品である。本年春先にかこさんの訃音を知っていたが、そのお悔みを兼ねた追悼番組かと思っていると、冒頭にテロップで、「この番組は追悼番組ではない」とえらく挑戦的な物言いから始まった。
 実際、映像は死相の出たかこさんの最後の苦闘を描いている。単に故人の業績を称揚して供養にしようという考えは、制作者もかこさんの長女も微塵もない。その覚悟はよく分かったが、それにしても伴侶よりもというか伴侶を差し置いて娘が父の末期の面倒を見るという構図が気になった。例えば名前テロップでも長女はいち早く紹介されたが、そこにいる妻は何も言及されない。何かあるのかと勘繰りたくなった。同業の深読みであろうか。

かこさんとは同郷だから親近感は昔からあった。そして15年ほど前絵本のドキュメンタリーを作ったとき、絵本作家3人のひとりとして登場してもらったことがあるが、絵本制作に向かうかこさんの真摯な態度に感動したことを思い出した。そのときかこさんの来歴をリサーチしたのだが、かこさんの戦争観はなかなか複雑であった。今回はとてもシンプルに語られて、いささか表現がアバウト(単調)ではないかと、せっかくの作品を惜しんだ。

 番組後半で次作の絵本について相談するシーンで、かこさんの呼吸が突然変化したとき衝撃を受けた。まさにわたしは息を呑んだ。かこさんの呼吸が下顎呼吸(open-mouth breathing)に変わったからだ。死の間際の人が行う呼吸ーー。
 ああこの偉大な絵本作家がまもなく世を去るかと思うと、いたたまれない気持ちになった。おそらく、視聴者にこういう思いを残すかもしれないと制作者は考えたにちがいない。だから最終章で人間の生命の設計図のエピソードをさりげなくだが深い思いをこめて制作者は置いておいたのだろう。

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by yamato-y | 2018-06-05 00:48 | Comments(0)


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