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  <title>定年再出発 　 </title>
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  <modified>2022-05-08T09:03:27+09:00</modified>
  <author><name>yamato-y</name></author>
  <tabline>懐かしい空</tabline>
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    <title>早朝のラン</title>
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    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[早朝のラン<o:p></o:p> 昨年秋から、毎朝6時に出発して7時に戻るランニングを始めている。きっかけは完全定年（嘱託、委託業務などもすべて終了）になって生活が不規則になったことだ。勤めに行かないから起床就寝を気にしなくなり、つい夜更かしするようになった。ネットフリックスを入れたばかりでだらだら映画、ドラマを見る羽目になった。ウィスキーをチビチビ嘗めながら深夜2時まで起きていることになると、起床は11時過ぎ。遅いブランチを食べると、散歩に出るのが午後2時。往復12000歩ほどの4つのコースを順繰りに歩いていた。<o:p></o:p>　そんなある日、散歩から戻って7時ごろ夕食をとって、サスペンスのテレビ映画を見始めた。終わると11時過ぎだった。腹が空いたので家人（寝入っていた）を起こして、「晩飯はまだか？」と告げたところ、大騒ぎとなった。夕方食事をとったことを忘れたのか、いよいよ痴呆が始まったと家人はわめく。面倒くさくなって一喝、「ウルサーい。病院に行って調べてくるよ。話はその後だ」と啖呵をきった。とは言うものの心細い。これが、「ちほうへの道」かとへこんだ。<o:p></o:p>　長年診てもらっている長尾先生の紹介で、東邦大学病院の物忘れ外科の診断を受けた。<o:p></o:p>結果は白。スキャンも知能検査も異常なし、ほっとした。ただしと賢そうな女医は言葉を継いだ。「生活が乱れて夜更かしがひどい。午前中がまったく活用されていない。これを続けると早晩認知に障害が出るのは明らかだ。規則正しく寝起きして、朝食の前に30分以上運動をするように律っしてください」と言い渡され一枚のシートをもらった。マス目の欄が7段あって週間の記録をつけるようになっている。午前午後の予定を事前に書き、当日の動きを記す。最後に、その日の意欲度をつける。これらの欄に記述して、1年後にそれをもって再度診察を受けるように言われた。<o:p></o:p>　願わくばピンピンコロリ。惚けたくないその一心。すぐ実行した。<o:p></o:p>　最初の1ヶ月は徒歩で毎日13000歩、90分だった。早朝に90分は時間を取られすぎだ。この半分にしようと走ることにした。40分6950歩数。これが現在のメニューとなっている。9月から始め、実行しなかったのは、旅に出た日を入れて7日だけ。三日坊主が長持ちしている。理由は快眠、快食、快便だからだ。すこぶる健康。<o:p></o:p> ]]></content>
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    <title>パソコンを整理</title>
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    <issued>2022-02-18T11:31:00+09:00</issued>
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    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[一昨年の冬の書付から「草隠れの地蔵」<o:p></o:p><br />
パソコンのデータを整理していたら、一昨年の12月に書き付けた文章が出てきた。野辺の地蔵のことを書いたのだが、後半の文学談義は削って、この場にさらしてみよう。最近、とんとこの場に来ることが減っていたからやや罪滅ぼしのつもりもあります。<o:p></o:p>　<o:p></o:p>新型コロナによる三密回避のため、目黒から渋谷まで電車を避け徒歩で通勤している。徒士（かち）組と自慢している。山手線に沿って８キロほど歩くのだが、途中、代官山の麓の線路端に間口10㍍奥行き3㍍ほどの草叢があって、真ん中に石の地蔵菩薩像が立っている。<o:p></o:p>丈が低いから、夏の間は周囲の草が生い茂って姿が見えなかった。秋になって顔を出した。草隠れの地蔵だ。誰かが世話をしているようにもみえない。ときどきジュースが七分目ほど入ったガラス瓶が供えられている。今日は加えて蜜柑が一個転がっていた。灰色の歳晩の景のなかで、蜜柑のダイダイ色が目に染みた。賽銭のつもりか、菩薩像の周りには百枚ほどの1円玉が散らばっている。くすねるふとどきな輩もいないようで枚数が減った様子もない。<o:p></o:p>地蔵は一枚石に浮彫りとなって、その周りに命日と戒名が刻まれている。左側に「享保九年辰六月十一日」右に「智秀童女」とある。どうやら墓仕舞いのときに放置された墓石の一部らしい。このあたりには大名や旗本の抱屋敷が多かったと聞くから、武家の娘であろうか。童女とあるから幼くして亡くなったか、もしくは水子を弔ったものではないかと思われるが、偲ぶよすがも手がかりもない。この半年間通るたびにこの地蔵立像が気になってしかたなかった。恵比寿－渋谷の往来の激しい区間、しょっちゅう電車が通過する。山手線や埼京線の長い車両が轟轟と走りぬける。片隅にひっそりと立つお地蔵さん。<o:p></o:p> 　夜になって木枯らしが吹いた。部屋の暖房（ヒーター）をつけた。草隠れ地蔵が生まれた享保の時代のことをぼんやり考えていた。八代将軍吉宗が統治していた時代で、町民文化が勃興したり洋学が始まったりする一方、ひどい飢饉もあった波乱の時代だ。もっと詳しく知りたいと、高輪図書館から、文芸文庫の「近松門左衛門」を借りだした。近松の没年が、奇しくも地蔵と同じ享保９年であることを後ろの解説で知って、興味を覚えた。<o:p></o:p>文芸文庫の近松は2巻もので、ひとつは「曽根崎心中」、もう一つは「心中天の網島」が収載されている。「曽根崎心中」は2011年に杉本文楽のドキュメントを制作したとき熟読したから読み飛ばして、「天の網島」を集中的に読んだ。享保5年に実際に起きた情死事件を題材にして書かれた物語だ。（菩提寺大長寺伝）。<o:p></o:p>紙屋治兵衛と妻おさん。そして愛人の遊女小春の“三角関係”が物語の軸。治兵衛の心は小春に傾いているから精確には不等辺三角形の関係だ。姦通、不義密通と当時は犯罪扱いされたが、今なら不倫という恋愛として考えてもいいだろう。二人の子供を持ちながら、治兵衛は新地の遊女小春に惹かれて通って3年になる。まわりは道ならぬ道を心配して引き裂こうとするが、かえって二人の仲は深まるばかり。もし離れ離れになるようなことがあったら心中しようと二人は誓いあっている。一方、妻のおさんの方は何も気にしていないとばかりに明るく健気に振る舞っている。<o:p></o:p>　あるとき、小春が客に心中を約束しているが本当は死にたくないとこぼしているのを、治兵衛が盗み聞く。怒った治兵衛は戸の外から刃を小春に向けて刺そうとする。刃は届かず殺害に失敗して、居合わせた客に捕縛されてしまった治兵衛。客は実は治兵衛の兄で、家業も放り出して遊女にうつつを抜かす弟の治兵衛をなんとか改心させたいと廓にやってきた時にこの事件が起きたのだ。　小春の死にたくないという言葉に落胆した治兵衛は小春と別れることを決意し、二人で立てた誓いの証文を取り戻す。その中に、小春にあてた妻おさんからの手紙があった・・・。<o:p></o:p>おさんと小春の二人には「おんなの義理」という絆があるらしい。今のモラルでは分かりにくいが、妻妾は互いの立場を思いやっている。それぞれの苦しい事情と一途な情が物語の展開とともに浮かび上がってくる。「曽根崎心中」のような一本調子の道行きとは違い、二重三重に義理と人情がからまる曲折の物語だ。それだけに男女の一途さが際立つ。といっても治兵衛は妻子を打ち捨て小春と心中を図るという自分勝手はどうしても気にはなるのではあるが。<o:p></o:p>こうして一旦は別れた治兵衛と小春。意外な出来事が重なって二人の縒り（より）は戻り、再び心中へ向う地獄の歯車が動き出す。実際の事件を題材にとったとはいえ、めくるめくようなジェットコースター的展開。近松門左衛門のイマジネーションと表現には舌を巻く。<o:p></o:p>　最後の段、「網島、大長寺」。心中の段取り手際は、「曽根崎心中」と似ていて、最初に男が女を刃で殺め、遅れて男が自裁する。ここでは治兵衛は首をくくってぶら下がるのだが、その光景がまるで風に揺れるひょうたんのようだと近松門左衛門は記している。《南無阿弥陀仏と踏みはずし。しばし苦しむ生（な）り瓢（ひさご）。風に揺らるる如くにて。次第に絶ゆる呼吸の道。息堰きとむる樋の口に。この世の縁は切れはてたり。》この世の縁は切れはてたりーーこうしてすべての柵（しがらみ）を断ち切り、小春・治兵衛の２つの魂は結び合って暗黒宇宙を久遠に飛び続けるーーふいと、代官山の草陰地蔵を思い出した。<o:p></o:p> ]]></content>
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    <title>1ヒビ２タカ3サイフ</title>
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    <issued>2021-11-29T20:55:00+09:00</issued>
    <modified>2021-11-29T20:59:26+09:00</modified>
    <created>2021-11-29T20:55:32+09:00</created>
    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[１ヒビ2タカ３サイフ<o:p></o:p>　半隠棲のくらしを送っていると、日々の変化などほとんどない。朝夕歩いて、昼間はパソコンか読書。朝のウォーキングで見かける軒先の花や草の咲いた枯れたが目に見える変化でしかない。<o:p></o:p>今朝はハナズオウの枯れ葉が見事に黒焦げになっているのに驚いた。枯れるとは焼かれるではないかと言いたいほどハナズオウの葉っぱが黒く縮こまっていた。今朝は寝坊して目覚めると7時20分。朝のウォーキングに出ると戻ってくる時刻は8時15分を過ぎるだろう。朝のテレビ小説を見逃すことになる。朝ウォーキングを始めて3か月半、一度も欠かしたことがなかったが、本日は中止してドラマ視聴にした。<o:p></o:p>　変化なしの暮らしでも見つけた出来事。まずヒビ。寒くなりはじめた先週から足のあかぎれがきつい。ひび割れして赤身が見えている。痛い。靴を履くときが一番痛い。かえって、生きているのだという実感を持つこともある。２つめは、野生のタカを目撃したこと。池田山公園の入り口で大きな羽ばたきに目を凝らすと翼を広げて低空を飛ぶタカを見た。そのまま私の右側の常緑樹の梢に留まった。1分ほど野生のタカを間近で見た。何かすごく得をした気分になった。<o:p></o:p>３つめは大崎警察からの電話で今年3月に紛失したサイフが届いているという知らせだ。すっかり忘れていた。奇特な方が今朝届けてくれたそうだ。所持金950円とスイカ。山を下って大崎署まで出かけた。落とし物係の女性に礼を言って大崎広小路に出た。交差点の一角に「王将」があった。小腹も空いたので、返還された950円でギョーザとチャーハンを食べた。風は冷たいが日差しがあった。青空も少し見えた。<o:p></o:p>来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか人気blogランキング　<br />
<br />
]]></content>
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    <title>Aさんの記念に</title>
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    <issued>2021-11-27T12:19:00+09:00</issued>
    <modified>2021-11-27T12:22:18+09:00</modified>
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    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[前回のAさんに宛てて書いた手紙の文章を記念にここに残しておこうと思った。★　　　　　　　　　　　　★<br />
　Aさん<o:p></o:p> 　　秋冷の候、お元気ですか。当方も健康だけは保っております。外郭の会社の軒先を借りてほそぼそと企画を出してやってきたPD暮らしもいよいよ雇い止めになりまして、この春から完全退職者としてほぼ毎日自宅の自室にいるような暮らしをやっております。お伝えしたかもしれませんが、数年前から大磯と目黒の二重暮らしを止めて、目黒一本にしました。ここを起点にして毎日歩いております。「御徒組」です。渋谷まで6200歩、池尻大橋まで7000歩、五反田、品川まで4000歩、三田まで6000歩、時には大手町7200歩、神保町8500歩をノルマにして右往左往しております。<o:p></o:p>　コロナが始まりまして、めっきり人付き合いが減りました。Yさんも奥様を亡くして一人暮らしが不便となり川崎のマンションに移転され、会う機会が無くなりました。時折電話で消息を伺うような次第です。ということで再開されて動き出した美術館や歌舞伎座の催事も一人で行っております。昨日も日比谷の図書文化館で開かれている「江戸から東京へ・千代田の風景」展を見てきました。客は高齢者ばかりで静かで居心地は悪くありませんでした。この秋の最大の好事は東京美術倶楽部が催した「美のまなざし」展でした。さすが画商たちの展覧会ですから、実物のすぐ傍で鑑賞できまして、前から好きだった浦上玉堂の山水をじっくり見ることが出来ました。他に良寛や光琳の書や短冊があって贅沢なものでした。<o:p></o:p>　山茶花が咲く時期になりました。冬に向います。コロナもまだ油断は出来ない様子です。くれぐれもご自愛ください。<o:p></o:p>★　　　　　　　　　　　　★結局、この手紙はAさんに届かず、奥様から返事が来た。奥様はこの手紙をお位牌の前で大きな声で読んでくださったそうです。有難かった。それにしてもこの暮れは訃音が多い。少し淋しい秋です。来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか人気blogランキング　　 <br />
]]></content>
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    <title>秋日和</title>
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    <issued>2021-11-14T11:51:00+09:00</issued>
    <modified>2021-11-14T11:55:49+09:00</modified>
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    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[秋日和<o:p></o:p> 昨日今日と秋晴れだ。昨日は31841歩、24．9キロ歩いた。目黒→高輪ゲートウェイ、両国→本所松坂町、両国から隅田川を渡り浅草橋、神田。そこから東京駅とほっこりするほど歩いた。<o:p></o:p>　両国は墓参だ。新人時代にお世話になったAさんのお墓に行った。去年から家電話にかけていたが繋がらず、高齢なので心配していた。4日前、手紙を書いたところ奥様から速達で返事が届いた。嫌な予感がして封を切ると、案の定ご本人は7月12日に昇天していた。コロナ大流行のなか、家族だけの密葬を行ったという報告であった。享年92，まあ大往生かもしれない。<o:p></o:p>　Aさんは下町出身の江戸っ子で洒脱でお洒落だった。口数は少なく、人の話をよく聴く人だった。噂では父上は三味奏者だったようで、自身も爪弾くことがあった。とにかく酒の飲み方は美しく、笑みを絶やさず盃をゆったり口にしていた。幼児のための音楽番組のチーフだったので、好きな歌は「雨の遊園地」と「北風小僧の勘太郎」。大人の歌は知らないし言わない。カラオケはいっさいやらない。好きな草花はエビネ蘭。<o:p></o:p>　結婚して大船に50年住んだ。鎌倉が好きで休日はいつもお寺回りをしていた。江戸文化に詳しく、愛読するのは三田村鳶魚だった。意外にも半村良のSFがお気に入りだった。<o:p></o:p> 　お墓は回向院の裏手にある西光寺にあった。JRの駅から徒歩8分。浄土宗の由緒あるお寺で演劇関係のお墓が多い。大きな銀杏があってすっかり黄葉していた。手を合わせて、「Aさん、長い間本当にお世話になりました」とお礼を申し上げた。<o:p></o:p>　「深誉勇覚信士」という新しい戒名が彫り込まれた墓石をそっと撫でた。Aさんが笑った気がした。<o:p></o:p>帰路、隅田川を渡るとき、都鳥を数羽見た。空はどこまでも高く川面はどこまでも青かった。<o:p></o:p>　秋日和ひしめく青の隅田川<o:p></o:p><br />
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    <title>「僕とオトウト」の監督さん</title>
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    <issued>2021-10-20T13:13:00+09:00</issued>
    <modified>2021-10-20T13:13:03+09:00</modified>
    <created>2021-10-20T13:13:03+09:00</created>
    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　晩秋か初冬か、早朝のウォーキングで考えていたこと<br />
<br />
<br />
あまり、ブログをこういう形で使わないほうがいいと思うが、小生パソコンのやり方が不得意で、頂いたコメントに簡単に返事することができないので、10月20日の欄をそれにあてたいと思う。　★　　　★<br />
　大学院生の方がドキュメンタリーを作ったということ。手仕事で上映するほどのクオリティを持つ作品ということであれば見てみたい。2年前に完全にフリーになってほとんど作品を作る機会がなくなった。今は40年間作ってきた作品の取材ノートを、文章化する作業にもっぱら力を入れている。でもやはり映像が恋しい。<br />
　この方は民生用のカメラを使ったのかな、それともスマホかな。今のスマホの能力はとても高い。私の新人時代の2インチのカメラなどをはるかに上回る映像解度があるから。カメラはよくなっているが、音声がまだ簡便に録れる機材がないと思う。そこをどうやって工夫したのか、知りたい。<br />
　でも何より主題と内容がもっとも知りたい点だ。<br />
どうしたら、この監督と繋がることができるかなあ。<br />
<br />
<br />
<br />
　★　　　★<br />
秋の花にずっと惹かれている。百日紅、萩、朝顔、木槿。ずっと花が夏の終わりからあったが、週末の寒波でいっきに花が消えていく。それでも百日紅、萩は萎れても花として残っている。分かったよ、もういいよ。楽になりなよと声をかけてやりたい。<br />
　<br />
　★　　　★<br />
早朝ウォーキングの定番コース、白金ラビリンス。今朝、エリア内に６つお寺が並ぶ寺町であることに気づいた。江戸の大火事で下町にあった寺がこの白金の地に遷ってきたという。その一つ清岸寺に樹齢250年の桜があった。人工育成の染井吉野ではない。染井吉野であれば樹齢はせいぜい150年ほどだ。この古木がどんな花を咲かすのか、来春が楽しみになった。<br />
<br />
<br />
　★　　　★<br />
大江文学は分かりにくいと言われる。たしかにそういう面はあるが、短編に定評を裏切るような切れ味のよい作品がいくつもある。私は短編作家の大江が好きだ。お勧めは、「新しい人よ眼ざめよ」、「『雨の木』を聴く女たち」。<br />
]]></content>
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    <title>ねむの木</title>
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    <issued>2021-09-23T22:05:00+09:00</issued>
    <modified>2021-09-23T22:16:43+09:00</modified>
    <created>2021-09-23T22:05:38+09:00</created>
    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[ねむの木<o:p></o:p><br />
夕方、残暑きびしいなか白金ラビリンスを縫って五反田に向かった。白金ラビリンスとは朝のウォーキングコースのひとつで、白金台の西端の崖線から五反田高台池田山の間にある谷間を指す。ここは5年前まで通った明治学院大学までの近道として入り込んだことがあって、方角である程度予想して分け入ったのだが、坂道と路地がいくつもあり完全に道を失ったことがある。谷間にはＮＴＴ関東病院の巨大な建物や池田山公園など目印となるものは少なくないのだが、いったん入り込むとまったく土地勘が効かない。そこで白金ラビリンス（迷宮）と私は名付けた。一か月前に痴呆の疑いが出たとき、医者から朝の30分運動を進められ、６つのコースを定めて実践してきたが、白金ラビリンスコースがその白眉のコースになっている。朝6時半、この谷間におりていくとき対面から朝日がある。遠く東京タワーが見える。右手の崖に池田山公園の緑が濃い。降りきるとＮＴＴ病院がある。そこから反対側の崖にあがり、やがて白金通りの裏道に入るというコースだ。住宅地で商店がなく朝は人っ子が見当たらず実に快適だ。実践して30日になろうとしているが、3回に1回はこのコースにしている。<o:p></o:p>そのコースを使って、夕方五反田の東急ストアに焼き鳥を買いに出かけた。5本入り380円のめちゃお得なつまみなのだ。大崎図書館の帰りにこのネタを見つけた。それが無性に食べたくなり、自宅から五反田駅までの最短を調べると、どうやら池田山越えだということが分かった。万歩計をセットして歩いた。1200歩、あるいて５分ほどで、お屋敷町に入る。たった800ｍの距離だ。その突き当りにオープンガーデン「ねむの木の庭」があった。閉園間際にすべりこんだ。庭の中央に大きな木がある。庭の係の人にこの木がねむですかと聞いた。そうだという。6月頃に花が咲くらしい。どんな花ですかと尋ねると、枝の先に薄赤く金色に光る羽のような花を指して、「これです」と言って教えてくれた。いつもの夏ならとっくに花は終わっているのだが、今年の長雨で花が残ったらしい。頭上２ｍの花を詳しくは見ることはできないが、その穏やかな薄紅色が夕日に映えて美しかった。<o:p></o:p>　この庭は美智子妃の実家の跡地だ。思ったほど広くない敷地の中央にそのねむの木はゆったりと葉を茂らせていた。<o:p></o:p>今、若き日の美智子妃の相談相手であった神谷美恵子のことを考えている最中だったので、この庭に出会ったのは僥倖であった。秋分の日の出来事である。<o:p></o:p>来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか<br />
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    <title>白金ラビリンスコース</title>
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    <issued>2021-09-03T13:02:00+09:00</issued>
    <modified>2021-09-03T13:02:24+09:00</modified>
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    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[白金ラビリンスコース<o:p></o:p> 7月下旬から早朝ウォーキングを始めた。6時半起床しておよそ3～40分ほど自宅周辺を歩く。歩数にして4200から4400。それまで夕方に90分ほど続けて歩くウォーキングで12000歩を目指していた方法を変えた。東邦大学物忘れ外来のH先生の指導による。規則正しく早い起床をすることは認知症予防の基本と言われた。もう一つ大事なことは昼寝30分をとることで、必ずしも毎日励行というわけにはいかないが、出来るかぎり実行している。ということで一日1回のウォーキングを朝夕2回のウォーキングに改善した。合計で10000歩超えを目指す。<o:p></o:p> 　毎日同じ道を歩いてもつまらないのでコースを変えている。1，白金ラビリンスコース<o:p></o:p>2，高輪越え三田コース　3，目黒川沿い中目黒コース　4，広尾・有栖川公園コース。4つのコースで4000から4500歩。時間にして30から40分である。気に入っているのが1の白金ラビリンスコースで、自宅から200㍍のところに広がる白金台の裏庭にあたる窪地を周回するコースだ。白金台の谷底をさ迷うのだ。最初この道に迷い込んでなかなか脱出が出来なかった。坂と路地が複雑に入り組んでおり、すぐ傍に五反田駅前とか白金プラチナロードとかがあるとは思えないほど人気の少ない住宅街の道である。<o:p></o:p>　自宅を出て首都高2号線の高速を越えて、崖線を下る。左手に池田山公園があり、右手には遠く東京タワーまでの眺望が広がる。家並みがきれいだ。この坂は日の出と向き合っており気持ちがいい。窪地のなかほどに大きな寺院の森がふたつあるが、アプローチの道が分からずまだそこまでたどり着いたことはない。公園の隣の谷底にNTT 関東病院の巨大な施設がある。病院の端にこの窪地の対岸の崖線があり、そこを登っていく。崖の中腹にある細道に立つと再び家並みが朝日を浴びて光っている。このコースは起伏が激しく坂道が10個以上ある。道はやがて白金の裏通りに入り、萩、さるすべり、木槿の花が咲き誇る生け垣の道を進む。ここまででおよそ25分。裏通りをつきっきると目黒通りに出る。目の前に自然教育園の森が広がっている。再び首都高を越えて目黒駅西口を目指す。駅でウォーキング30分4500歩となる。<o:p></o:p>8月の朝は朝顔、萩、木槿、百日紅の花が美しかった。9月になりここ数日の冷たい雨で萩が散り、今朝はとうとう百日紅の紅い花も散り落ちていた。木槿は予想以上に花持ちがいい。こうしたことに気づくのも白金ラビリンスコースの余得だ。<o:p></o:p>]]></content>
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    <title>傘</title>
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    <issued>2021-06-18T22:06:00+09:00</issued>
    <modified>2021-06-18T22:06:43+09:00</modified>
    <created>2021-06-18T22:06:43+09:00</created>
    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[コロナの夕べ、傘の陰干し<o:p></o:p> 昨日、大手町の大規模接種センターで新型コロナワクチンの一回目を打ってきた（打たれてきた）。午前9時半のグループだったが、会場入りから退場するまで45分。地下鉄の駅を降りたところから接種会場まで、角に道案内が立っていて、実に有り難かった。まず氏名、年齢、住所を確かめることから始まり、予診でこれまでの既往歴をチェックがあったあと、即注射。一瞬痛いと声をあげたが、すぐ終わった。あっけなかった。周囲を見回すと、70以上の男女の白い頭ばかり。あらためて高齢者の分類にはいることを実感。<o:p></o:p>打った左の二の腕がずきずきする。<o:p></o:p> 一夜明けて、注射を打った左の二の腕だが、ずきずきして少し熱を持っているような感じ。この痛みは終日続いた。老人に血栓症が多いと聞かされていたので、用心する。午後から大きな歯の手術を予定していたが、取りやめた。大事をとった。<o:p></o:p> 64年のオリンピックは今考えると、ずいぶんのんびりしていた。あのときは秋の10月開催だった。ちょうど中間テストの最中だったが、テレビに齧り付いていた。開会式で最終聖火ランナーの坂井義則さんが長い階段を一つ一つ上っていく光景が今も眼裏にある。コロナもなければ、温暖化もなく、冷戦はあったものの今の中国のようなアカラサマナ覇権主義もなかった。私はすっかりオリンピック少年だった。<o:p></o:p>　3年後に、大学のキャンパスで、勧誘にくる女性が、「東京オリンピックなんて、安保問題を逸らせるための『策動』よ」と署名を迫ってきたことは忘れられない。<o:p></o:p> 　コロナの厄がまだ残っているのに、本当にオリンピックをやるのかなあ。私と同年の首相の答弁を聞いているとあまりにノーアイディアで頭をかかえたくなる。そうだ。忘れないうちにデジタル大臣の平井某のことを書いておこう。この人は何様。麻生や丸川やなぜこんな人物がキャビネットに入るの。<o:p></o:p> 話は飛ぶが、昨夜の「プレバト」森口瑤子の句には脱帽。うまい。小生はこういう句は作らないが、夏間近の佳句だった。<o:p></o:p>　ジェラシーを折ってたたんで白日傘<o:p></o:p> ]]></content>
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    <title>将来のために</title>
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    <issued>2021-03-09T12:00:00+09:00</issued>
    <modified>2021-03-09T12:01:25+09:00</modified>
    <created>2021-03-09T11:59:59+09:00</created>
    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[いつまで続く泥濘で、いいか<o:p></o:p> 　憂鬱なことが続く。コロナの悲惨不安が始まって1年以上になろうとしている。こんな時期に日本がオリンピックを開催することになるとは、2年前には予想もつかなかった。日本は1940年、当時の言葉でいえば紀元2600年という意味のある年にオリンピックを開催するつもりでいた。ところが日中戦争が泥沼化し、軍部の圧力もあって開催撤回を申し出る。<o:p></o:p>　オリンピック開催はヘルシンキに替わる。しかし欧州情勢が悪化し、ついには中止となった。そして1941年の暮れに真珠湾奇襲が起きて、日本は最悪の道を歩むことになる。<o:p></o:p>　この痛恨をなんとか挽回し、日本でこのスポーツの祭典を開きたいと願って出来たのが、1964年の東京オリンピックだった。<o:p></o:p>　そして、2020年東京は3回目の機会だった。だが延伸となって、2021年7月の実施が目前に迫った。果たして実現するだろうか。コロナ禍の不安は依然拭えない。どれほど日本および日本国民が周到に予防策を立てても火種は期日までに根絶やしすることも無理であるし、外国の諸選手ら1万有余の転入移動もリスクが懸念される。<o:p></o:p>　本日、英タイムズ紙が「日本政府は内密に東京五輪中止」と報じた。IOCや政府は否定しているが、外部から見れば当然中止の状況にしかみえない。なのに、なぜ決定を先送りにして、何をしようとしているのか。IOCからの圧力か、五輪スポンサーへの配慮か。どんどん時間と金と人材が浪費される。<o:p></o:p>「後手に回る菅政権」と冷笑することでいいのだろうか。もはや国としてのシステムは正常に働いているとは思えないい。官僚らもまったく声をあげない。為政者の劣化はさらにひどく、国会を追われる国会議員は後を絶たない。党から除名される議員の数も少なくない。あまりにひどい。閣僚の顔ぶれもひどいが宰相そのものも資質が問われるのではないか。今国会の予算委員会での答弁もほとんど原稿棒読み<o:p></o:p>であるし、斬新な提案もまったくない。ポストコロナへの展望もない。<o:p></o:p> 1993年の選挙に負けて下野すればどれほど惨めかということを知った自民党は、その後何が何でも権力を手放したくないとしがみついている。だから妖怪のような幹事長が徘徊し、その周辺に追従が群れる。こういう権力構造をどこかで見たことがあると振り返ると、1992年の金丸信事件だ。金丸の脱税は政治資金法違反事件に発展し、自民党は瓦解し、次の選挙で敗北した。あのときの政界の空気に酷似している。<o:p></o:p>予兆は前の安倍政権のときから起きていた。モリかけ事件で不正が発覚したにも関わらず、安部首相の責任はうやむやになった。その前後から政治のモラルが格段に落ちた。<o:p></o:p> 対岸アメリカのトランプの極端な政策に苦笑し、半島の文在寅政権を揶揄し、大陸の習近平体制を恐れていると、いつのまにかこの国の足元はぽっかりと空洞ができていた。こんな泣き言ばかりを言っているわけにはいかない。子や孫の世代に深刻な負荷を残さないためにも今やるべきことをやっておかねばならない。<o:p></o:p><br />
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    <title>去りし月日も</title>
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    <issued>2021-03-05T20:41:00+09:00</issued>
    <modified>2021-03-05T20:44:31+09:00</modified>
    <created>2021-03-05T20:41:27+09:00</created>
    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[去りし月日も美しく<o:p></o:p> 「荷下ろし鬱」という言葉を初めて知った。<o:p></o:p>《定年を迎えて長年勤めた会社を辞めた人が「荷おろしウツ」に罹ることがある。仕事のみに傾倒し、家族や趣味など仕事以外の柱を持たない人がなりやすく、急に「自分には存在価値がない」という思いに駆られてしまう」鬱症状》<o:p></o:p>加えて、コロナによる巣ごもりが余計に鬱症状を悪化させているらしい。<o:p></o:p>自分では仕事人間ではなかったと思っているが、家族からはそんなはずはありえないと否定される。そういえば心当たりがないでもない。仕事人間だったから、趣味といえば読書と映画鑑賞しか見当たらず、他者との出会いもせず、せいぜい図書館の渡りを繰り返すだけの今の境涯だ。品川区五反田図書館、目黒区中央図書館、港区高輪図書館、渋谷区中央図書館の読書カード4枚を持っている。平均7冊借りるから常時28冊の本を傍らに置いている。週に3冊読了のペースなので、いつも返却日超過の状態にあり、延長の処理をすることになる。これぐらいが荷下ろし鬱から逃れる手立てだが、人によってはしょっちゅう元の職場を訪ねて鬱逃れようとする輩もいる。年に1度か2度なら元職場もウェルカムだが、毎週のように来られると対応するのも面倒になりおまけに先輩面されるのも不快になってくるというのが後輩たちの人情。苦情がネットの相談室に寄せられていた。以て他山の石。<o:p></o:p>今、制作会社に身を置いて年に1本か2本番組を作っている。週のうち2日ほどオフィスに行って、ネタのリサーチや取材のアポ取りなどを行っている。現役時代属していた番組制作の古巣でなく報道系の番組制作会社に席を置いている。新しい会社に入ったようなもので、周りは初めて出会う人たちばかり、新しい人間関係を生きている。当然、職場の1年生の身だから総務的な事柄は周りから教えてもらうことになる。私はせいぜい番組作りのノウハウを持っているしか取り柄がない。卑屈ではないが、かなり年少のディレクターでもため口はしない。最初は窮屈だなと思ったが、考えてみればなれ合いでもなく他人行儀でもなく、上下のないフラットな付き合いになる。これが3年続いた理由であろうか。<o:p></o:p>まもなく年度末。人事異動や新番組作りの時期に入っていく。新しい年度に私自身がサバイバルできるような企画は今のところ持ってない。先行きどうなるか分からない。職場を失くすかもしれない。なくなって、毎日自宅で散歩と読書は辛いが、これもまた人生。C'est la vie。<o:p></o:p> 先日、ある方から、このブログで父（故人）のことを思い出してくれてありがとうというコメントを頂いた。思いがけなかった。嬉しかった。40年前の交友だが私にとって大切な人で大事な思い出だ。そうだ、去っていった友や知人のことを文字で記録しようと思いついた。よかったら三須さんの息子さん、再度、連絡いただけませんか。待っています。<o:p></o:p> 吉屋信子の句。<o:p></o:p>　初ごよみ知らぬ月日は美しく<o:p></o:p>新年初頭に、これから来る月日はどうなるか分からないが、何かが待っていると期待に胸を膨らます様を描いた句だ。だがさらに深く考えれば、去った月日もまた美しい。苦しかったこと、悲しかったことも覚えてはいるが、今となってみればそれもまた美しい。来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか<br />
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    <title>川端文学</title>
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    <issued>2020-12-21T23:01:00+09:00</issued>
    <modified>2021-03-05T20:42:46+09:00</modified>
    <created>2020-12-21T23:00:59+09:00</created>
    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[ 有り難うさん 　清水宏監督が注目されたことがある。小津安二郎の盟友で、戦前の松竹大船調を築いた人物と言われるが、小津ほど評価されていない。小津の作品はどちらかと言えば屋内劇で、ロケを主調とした清水は映像美としても低いと見られていたのだ。たしか中野翠さんが清水を「発見」して昂奮した文章を書いていたと記憶する。かれこれ10年前のことになるだろうか。<o:p></o:p> 　その清水の代表作に「有り難うさん」がある。伊豆の下田から天城峠を越えて三島に向う15里の街道。その山道を行く乗り合いバスの運転手の物語だ。昭和10年頃の未舗装の山道をバスが通り抜けると、行商人や馬車や道路補修の人たちは道を譲った。その都度、運転手は「ありがとう」と声をかけていく。その誠実な人柄が街道筋の人から慕われて、有り難うさんと呼ばれている。映画では主人公を上原謙が演じている。戦前を代表する映画スターで加山雄三の父でもある。<o:p></o:p>　この映画はウェルメイドなロードムービーとして、近年評価が高くなった。映画通は、ここに登場する道路補修の人たちが朝鮮人の集団であったことを発見する。当時、韓国を併合した日本には職を求めて日本へ渡ってきた朝鮮人がおおぜい働いていた。その姿がしっかり切り取られていると、評論家が清水の社会性の高い見識を褒めると、俄然清水の生き方や人生に注目が集まった。ツタヤの名作コーナーに清水の作品が並ぶようになったことを思い出す。<o:p></o:p>ここまでは承知していたが、この映画「有り難うさん」の原作についてまったく無関心であった。原作者は川端康成であった。冬至の前日にあたる2020年12月20日に原作を読んだ。別に意味はない。ただ、川端の作品と出会ったということを覚えておきたいと年月日を記述した。短編ばかりを収録した「掌の小説」のなかに小説「ありがとう」はあった。読んで驚いた。わずか2400字ほどの小篇だ。しかも物語のプロットはたった一つ。伊豆の寒村に住む15歳ほどの少女が母に連れられて、町に売られていく（身売り）話だ。<o:p></o:p>バスが夕刻に停車場に着いた。運転手も件の母娘もバスから降りる。運転手の後ろ姿に母親が声をかける。「ねえ、この子がおまえさんを好きじゃとよ。私のお願いじゃからよ。手を合わせて拝みます。どうせ明日から見も知らない人様の慰み物になるんじゃもの。ほんとによ。どんな町のお嬢さまだっておまえさんの自動車に10里乗ったらな」母親は人柄のいい運転手に、一夜だけ娘と過ごしてやってもらえないかと頼んだ（らしい）。<o:p></o:p>　次の朝、何もなかったかのようにバスに運転手が乗り、母と娘も乗り込む。そして母がぼやく。「どりゃどりゃ、またこの子を連れてお帰りか。今朝になってこの子に泣かれるし、おまえさんには叱られるし。私の思いやりがしくじりさ」<o:p></o:p>たったこれだけの母親の愚痴めいた言葉しかない。だが何があったか浮かび上がってくる。昨夜、母は仕合わせの薄い娘を思って、抱いてやってほしいと運転手に頼んだところ、運転手は怒った。そればかりか朝になって娘は行きたくないとぐずる。なまじかけた思いやりがとんだ結果になったと母はぼやくのだ。小さな小さな小説世界。<o:p></o:p>　この小さな小説を清水宏はしっかり心に刻んだ。琴線をざわっと揺らされた清水は、見事な長編の映画世界に変幻させたのだ。たしかに読み込んだ清水は偉かった。<o:p></o:p>だが、川端文学の文章世界がどれほど広大で深いものであったかを、改めて私は思い知らされた。<o:p></o:p><br />
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    <title>草陰の地蔵さん</title>
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    <id>http://mizumakura.exblog.jp/31897900/</id>
    <issued>2020-12-17T20:42:00+09:00</issued>
    <modified>2020-12-21T23:02:01+09:00</modified>
    <created>2020-12-17T20:42:25+09:00</created>
    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　草隠れの地蔵<o:p></o:p> 新型コロナによる三密回避のため、目黒から渋谷まで電車を避け徒歩で通勤している。徒士（かち）組と自慢している。山手線に沿って８キロほど歩くのだが、途中、代官山の麓の線路端に間口10㍍奥行き3㍍ほどの草叢があって、真ん中に石の地蔵菩薩像が立っている。<o:p></o:p>丈が低いから、夏の間は周囲の草が生い茂って姿が見えなかった。秋になって顔を出した。草隠れの地蔵だ。誰かが世話をしているようにもみえない。ときどきジュースが七分目ほど入ったガラス瓶が供えられている。今日は加えて蜜柑が一個転がっていた。灰色の歳晩の景のなかで、蜜柑のダイダイ色が目に染みた。賽銭のつもりか、菩薩像の周りには百枚ほどの1円玉が散らばっている。くすねるふとどきな輩もいないようで枚数が減った様子もない。<o:p></o:p>地蔵は一枚石に浮彫りとなって、その周りに命日と戒名が刻まれている。左側に「享保九年辰六月十一日」右に「智秀童女」とある。どうやら墓仕舞いのときに放置された墓石の一部らしい。このあたりには大名や旗本の抱屋敷が多かったと聞くから、武家の娘であろうか。童女とあるから幼くして亡くなったか、もしくは水子を弔ったものではないかと思われるが、偲ぶよすがも手がかりもない。この半年間通るたびにこの地蔵立像が気になってしかたなかった。恵比寿－渋谷の往来の激しい区間、しょっちゅう電車が通過する。山手線や埼京線の長い車両が轟轟と走りぬける。片隅にひっそりと立つお地蔵さん。<o:p></o:p> 　夜になって木枯らしが吹いた。部屋の暖房（ヒーター）をつけた。草隠れ地蔵が生まれた享保の時代のことをぼんやり考えていた。八代将軍吉宗が統治していた時代で、町民文化が勃興したり洋学が始まったりする一方、ひどい飢饉もあった波乱の時代だ。もっと詳しく知りたいと、高輪図書館から、文芸文庫の「近松門左衛門」を借りだした。近松の没年が、奇しくも地蔵と同じ享保９年であることを後ろの解説で知って、興味を覚えた。<o:p></o:p>文芸文庫の近松は2巻もので、ひとつは「曽根崎心中」、もう一つは「心中天の網島」が収載されている。「曽根崎心中」は2011年に杉本文楽のドキュメントを制作したとき熟読したから読み飛ばして、「天の網島」を集中的に読んだ。享保5年に実際に起きた情死事件を題材にして書かれた物語だ。（菩提寺大長寺伝）。<o:p></o:p>紙屋治兵衛と妻おさん。そして愛人の遊女小春の“三角関係”が物語の軸。治兵衛の心は小春に傾いているから精確には不等辺三角形の関係だ。姦通、不義密通と当時は犯罪扱いされたが、今なら不倫という恋愛として考えてもいいだろう。二人の子供を持ちながら、治兵衛は新地の遊女小春に惹かれて通って3年になる。まわりは道ならぬ道を心配して引き裂こうとするが、かえって二人の仲は深まるばかり。もし離れ離れになるようなことがあったら心中しようと二人は誓いあっている。一方、妻のおさんの方は何も気にしていないとばかりに明るく健気に振る舞っている。<o:p></o:p>　あるとき、小春が客に心中を約束しているが本当は死にたくないとこぼしているのを、治兵衛が盗み聞く。怒った治兵衛は戸の外から刃を小春に向けて刺そうとする。刃は届かず殺害に失敗して、居合わせた客に捕縛されてしまった治兵衛。客は実は治兵衛の兄で、家業も放り出して遊女にうつつを抜かす弟の治兵衛をなんとか改心させたいと廓にやってきた時にこの事件が起きたのだ。　小春の死にたくないという言葉に落胆した治兵衛は小春と別れることを決意し、二人で立てた誓いの証文を取り戻す。その中に、小春にあてた妻おさんからの手紙があった・・・。<o:p></o:p> おさんと小春の二人には「おんなの義理」という絆があるらしい。今のモラルでは分かりにくいが、妻妾は互いの立場を思いやっている。それぞれの苦しい事情と一途な情が物語の展開とともに浮かび上がってくる。「曽根崎心中」のような一本調子の道行きとは違い、二重三重に義理と人情がからまる曲折の物語だ。それだけに男女の一途さが際立つ。といっても治兵衛は妻子を打ち捨て小春と心中を図るという自分勝手はどうしても気にはなるのではあるが。<o:p></o:p>こうして一旦は別れた治兵衛と小春。意外な出来事が重なって二人の縒り（より）は戻り、再び心中へ向う地獄の歯車が動き出す。実際の事件を題材にとったとはいえ、めくるめくようなジェットコースター的展開。近松門左衛門のイマジネーションと表現には舌を巻く。<o:p></o:p>　最後の段、「網島、大長寺」。心中の段取り手際は、「曽根崎心中」と似ていて、最初に男が女を刃で殺め、遅れて男が自裁する。ここでは治兵衛は首をくくってぶら下がるのだが、その光景がまるで風に揺れるひょうたんのようだと近松門左衛門は記す。<o:p></o:p>《南無阿弥陀仏と踏みはずし。しばし苦しむ生（な）り瓢（ひさご）。風に揺らるる如くにて。次第に絶ゆる呼吸の道。息堰きとむる樋の口に。この世の縁は切れはてたり。》<o:p></o:p>　この世の縁は切れはてたりーーこうしてすべての柵（しがらみ）を断ち切り、小春・治兵衛の２つの魂は結び合って暗黒宇宙を久遠に飛び続けるーーふいと、代官山の草陰地蔵を思い出した。。<o:p></o:p>　<o:p></o:p>　<o:p></o:p>パソコンのキイを夢中で敲いていたら、突然目の前の本棚から本が落ちて来た。驚いて手に取ると、詩人天野忠の『木洩れ日拾い』（編集工房ノア）。15年前に京都百万遍の古書店で入手したもので、懐かしくなって、パソコンを打つことも忘れて「バスの中」「路地暮らし」「もみじのような言葉」など、天野の平易だが深甚なものを感じさせる文章世界に引き込まれた。この本が出された当時、天野は79歳。下鴨糺の森近くの路地奥に老妻とひっそりと暮らしていた。<o:p></o:p> 四十年・・・・　<o:p></o:p>ふっくらしたばあさんになって　<o:p></o:p>入れ歯をはずして　<o:p></o:p>気楽そうに寝ている　<o:p></o:p>ときどきいびきをかいている。<o:p></o:p>小さな借家の<o:p></o:p>古い畳の上で。<o:p></o:p> 一度だけ天野をインタビューしたことがある。富士正晴が死去した翌年の1988年のことだ。終戦直後に天野が勤めた京都の出版社で富士と机を並べたことがあって、思い出を聞いたのである。関西文壇の重鎮とはいえヤンチャな富士と天野はどんな会話を交わしたのか知りたかった。答えは実にあっさりしていた。はんなりした京ことばで、富士は神経が細かいところがあったなあとぼそっと呟いた。吹きだしそうになった。傲岸にして型破りの富士が天野の手の中で踊らされている姿が浮かんだ。手厳しいなあ。天野は関西独特のユーモアを溶かし込んだ皮肉をシラーっと語った。大隠は市に隠る。<o:p></o:p> 詩の中で、“路地裏のちっぽい”と謙遜する家はきれいに整頓されていて、小さいながら住みやすそうな落ち着きとやすらぎがあった。<o:p></o:p> 　代表作「私有地」は著者が読売文学賞を受賞した70歳の時の絶唱である。<o:p></o:p> いろいろなむかしが<o:p></o:p>私のうしろでねている。<o:p></o:p>あたたかい灰のようで<o:p></o:p>みんなおだやかなものだ。<o:p></o:p> むかしという言葉は<o:p></o:p>柔和だねえ<o:p></o:p>そして軽い・・・・<o:p></o:p> いま私は七十歳、はだかで<o:p></o:p>天上を見上げている<o:p></o:p>自分の死んだ顔を想っている。<o:p></o:p> ライトバースの達人は深い言葉を特に老年期にたくさん残して、「晩年の達人」とも言われた。<o:p></o:p>「私有地」の３つめのスタンザーー自分の死んだ顔を想っている、という言葉には度肝を抜かれる。裸になって天上を見上げている。天井ではない。目は瞑らず開けたままで自らのデスマスクを凝視している。<o:p></o:p>自分も真似してみようとやってみたが、何も見えてこない。目を閉じても浮かばない。「むかしという言葉」はいっこうに軽くならない。<o:p></o:p>この本のあとがきに天野は「木洩れ日を拾うて余生を歩む私」と書いていて、著者79歳の心境を紡いだ作品だと知れる。5年後に他界するのだが、実りの多い幸福な晩年を過ごしたと伝記にはある。が、はたしてそうだろうか。天上でにやにや笑っている天野が浮かんでくる。<o:p></o:p> 　今朝、代官山のお地蔵さんの傍を通ったら、蜜柑が失くなっていた。　<o:p></o:p><br />
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    <title>飛騨の国から</title>
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    <issued>2020-12-02T23:08:00+09:00</issued>
    <modified>2020-12-02T23:08:44+09:00</modified>
    <created>2020-12-02T23:08:44+09:00</created>
    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[飛騨の国から<o:p></o:p> 　飛騨高山に50年来の友Tがいる。金沢の大学で同窓だった。卒業後、彼は飛騨に帰って先生になった。<o:p></o:p>数年前、中学の校長先生を最後に職を退いだと便りをよこした。心優しく、さぞ生徒想いの先生だっただろう。その彼が短歌を嗜んでいると、歌集「ちぐさびより」が届いた。そのうちの一つ。<o:p></o:p>　おろかしく学校勤務終えてなほこころ開かぬ子らの夢見る<o:p></o:p>今夜、それを目にして瞼が熱くなった。<o:p></o:p>そのTが失恋した夜のことを思い出した。晩秋だったと思う。金沢にブリ起こしの雷が鳴って冬が到来するちょうど今頃だ。まだ路面電車が走っていたかもしれない。中町の私の下宿にやってきたTは何も言わず、ギターを弾き出した。なんだろうと盗み見すると、やつの目から大粒の涙がぽたぽた落ちた。何も語ることなく弾き続けて、そのまま泊まったか、帰ったか、記憶がはっきりしない。なにか日活映画の青春ものを見ているような気がした。それをきっかけにさらに仲良くなったことは覚えている。<o:p></o:p>　大学に代々伝わる四高寮歌があって、コンパには大声でどなり歌ったものだが、その歌詞を今読むと、なんだこれ恋愛詩だったのだと思う。<o:p></o:p>　♫北の都に秋闌けて　われら二十歳の数ふ　男女（おのこおみな）の棲む国に　二八に帰る術もなし<o:p></o:p>二八とは16歳のこと。男と女が棲んで生きているこの町に我はいて、もはや男女の恋など知らなかった16歳戻ろうとしても出来ないものよ。という意味かな。そう思って歌を口ずさんで、ああこれは四高生の恋への憧憬を歌っていたんだと気がつく。この歌の2番が<o:p></o:p>♪その術なしを謎ならで　盃捨てて嘆かんや　酔える心のわれ若し　われ永久（とこしえ）に緑なる<o:p></o:p> 　かくしてわれもTも永遠に緑なると思っていたら、50年経ち、７０過ぎた翁となったわけだ。<o:p></o:p>Tの短歌をもう一つ<o:p></o:p>　反戦を叫びし青春（とき）の過ぎゆきて思い沈みぬ終戦の日は<o:p></o:p>]]></content>
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    <title>たかなわ</title>
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    <id>http://mizumakura.exblog.jp/31629938/</id>
    <issued>2020-09-03T22:36:00+09:00</issued>
    <modified>2020-12-17T20:53:16+09:00</modified>
    <created>2020-09-03T22:36:52+09:00</created>
    <author><name>yamato-y</name></author>
    <dc:subject>未分類</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[高輪<br />
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　南方海上に台風10号があって日本列島を虎視眈々と狙っている。道理で今日一日ピーカンと夕立が交互に襲来して不安定な天候だった。<br />
　五反田の公立図書館を午後4時半に出て、このところ日課としている15000歩ウォークを開始。五反田から山手通りに沿って大崎、北品川を経由して品川駅から高輪に抜けるコースを選んだ。直前に図書館の書架で見つけた俳句雑誌で「畷道（なわてみち）」という言葉を知った。田んぼの中のあぜ道を指すという。南北朝時代、楠木正成の四條畷の闘いでもその名前が登場する。畷とは田んぼのような湿地帯を表すようだ。その中を貫く道を畷道（縄手道）と呼んだ。ここまで俳句雑誌を読んで、ふと閃いた。<br />
　港区史に高輪とはこの区域に縄のような道があることから高縄という地名があって、それが転訛して高輪になったと書かれてあったが、元々は高畷道と呼ばれていたのじゃないだろうか。地形から観ると、高輪台地は海岸段丘で丘が海沿いに横に広がっている。高低差は20㍍もない小高い丘だ。先人はここを耕作して田んぼを切り開いた。おそらく丘一面に水田があった。この丘陵を南北に貫く一本道を高い（麓から見ると）畷道という意味で高畷と呼んだのではないか。ここから高輪の地名が誕生した、と私は推測した。<br />
　余談だが、隣接する麻布台は丘一面に麻畑があったと言われる。<br />
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　ネットで地名由来を当たってみるとこう書かれていた。《戦国時代の軍記物語の中に「高縄原」として書かれていることに由来する。高縄とは高縄手道の略語であり「高台にあるまっすぐな道」を意味している。》<br />
　ほぼ私の推論と同じだが、一点違うのは縄道とは「あたかも高いところに張った縄のようである」という解釈だ。高は一般論の高ではなく、現地の地形で、百姓たちが居住する麓から見れば高い場所にあるという意味ではないかと、しつこく食いさがる。<br />
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　東京は丘が多い。高輪近辺でも白金、麻布、広尾などめぼしいものが幾つもある。私が育った若狭や金沢はほとんどなく、あるとすれば「山」だった。敦賀であれば天筒山、金沢であれば卯辰山（向山）。山ほど高くなく、適当に人影の疎ら丘という空間にずっと憧れていた。高校時代に愛唱した“ちぎれ雲”の一節「思い出し、独りで丘の道を登り、雲に向い叫ぶ。君だけが好きだよと」が胸に残っていた。詠み人知らずだが「丘のポプラは揺らぎ、独り居はなべてかなし」というフレーズも脳裏に焼き付いていた。こんな情景の丘に登ってみたいと常々思っていた。<br />
　そんなことを思いながら、ウォーキングで畷道を歩いて高輪ゲートウェイ桂坂を下っていくとぽっかり満月がのぼった。<br />
　　　畷道二百十日の月夜かな<br />
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