偽悪的な発言でも
宮崎駿のインタビューを終えて、いくつかの言葉が心に残った。
最新作の「崖のうえのポニョ」から番組の話題は始まる。あの映画では波に目があるのだが、それを実感した体験を語る。
イギリスのイングランドの北海を宮崎が見たとき、日本の荒波と違うのた打ち回る波だった。それは波が荒れているというより、怪獣がいっぱいのたうちまわっている気がした。今回も波を描くのに、波が魚になったり子どもがその上を走ったりするというふうに「人格」があってもいいかなと考えた、と宮崎はいう。
これまでの作品で続編ものというのはやっていないですねという質問に対して。
続編を作ると思い出しながら作ることになるから、どこを子どもが喜んだだろうとか、あのときはどうしたかとか、(後ろ向きで)あまり生産的とはいえないから、続編は作らないことにしている。
スタジオジブリの隣に保育園が出来て、宮崎はときどき外から園のなかの子どもの様子を見ている。
「年寄りのぼくなんかにとって、のぞくと、幸せな気持ちになる」こどもを見ていると、自分が現役の親だったときに見逃したものをいっぱい見つける。「その子どもが上手くいかなかった。もう一回試してクリアしたときにね、誰も見ていると思わないけど、ちゃんと得意そうな顔をしているとか、そういうものを拾うんです」園のなかの子どもの小さなしぐさを見つけて感動して、呆然と立ち尽くしている宮崎の姿が浮かんでくる。
宮崎はファンタジーのもつ力をこう考えている。
「ファンタジーが面白いのはたいてい逃げだ。現実には先生に怒られたとかあっておどおどしなが、いろんなことやりながらそれでもファンタジーのときには主人公になれる。そこで主人公になれる。ファンタジーは多くの場合、こう自分は忘れるための自分の無力さを忘れるためのもの・・・」
だから、子ども頃にファンタジーに満ちているのは当然だが、それをずっと引きずったままでいるオタクのような心理にはあまり共感しないらしいのだ。
ファンタジーはそれほどたくさん見ることもない。本当に心に残ってくれて、時間が経ってあるときふっと思い出してくれるぐらいでもいいのだと、宮崎は考えている。
聞き手が、宮崎氏の業績を偉大だと評価すればするほど、こういうことはたいしたことはないのですと、悪ぶるところが面白かった。
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