講演会「映像というテキスト」
3月4日、朝から大雪だった。夕方池袋で講演することになっていたのでこれでは聴衆の足も遠のくなあと少し落胆したが、昼には雪もあがって薄日すらさした。
6時半、会場には60名の人が来てくれた。講演会は大学の公開講座の一環で、メディアの現状を考察することになっていたので、私は「冬のソナタ」現象について報告した。
2003年に私は「最期のひばり」という番組を制作した。美空ひばりさんが間質性肺炎で亡くなるまでの半年間を付き人の看護記録から読み解いた作品だ。これはその年のNHKスペシャルの最高視聴率を記録した。ところが放送後の反響は今ひとつ芳しいとはいえなかった。
主人公がビッグなだけに関心は高かったのだろうが、波乱万丈のドラマがあるわけでもなく、示された事実は未発表でもひばり伝説を大きく変えるものでもなければ彼女の歌声が流れるわけでもない。一人の末期癌の患者を丁寧に紹介しただけだ。どちらかといえば制作者が「美空ひばりはこういう生き方をした」ということを知らせたいとこだわって作った作品である。作者主導の番組だ。
2004年に総合テレビで放送された韓国ドラマ「冬のソナタ」は、2003年に衛星第②で2回放送されたにもかかわらず、高い視聴率をマークし社会的に大きな話題となっていった。このドラマの放送形態こそ作者主導の番組から観客中心の番組へ替わったことを示し、新しい時代の到来を告げるものだった。
2003年春に連続ドラマ「冬のソナタ」の最初の放送が始まった。日を追って中高年の女性たちから問い合わせが多くなっていく。
再放送の声が高まり、NHKはその年の暮れに10日間連続再放送をすることを決める。再放送をしたにもかかわらず、また見たいという声が局に押し寄せる。明けて2004年春、総合テレビで
再再放送をすることになった。ソナチアンの声が高まり大きなうねりとなって、放送の編成を動かしたのだ。
総合テレビでの放送は、深夜帯、外国もの、
再再再放送という三重のハンディを背負いながら、放送を開始すると20㌫近い視聴率を弾き出した。この頃から韓流という社会現象が起こっていく。
ソナチアンの声はとどまらない。日本で放送されたバージョンではない、オリジナルのノーカット版の「冬のソナタ」が見たいという声が局に押し寄せてきたのだ。ノーカットは時間が不定で日本のテレビ編成にはなじまないし、このドラマは3回も放送している。従来の放送形態であれば実現はありえないのだが、ソナチアンの声は放送局の厚い壁をこわしていく。
2004年暮れ、完全版「冬のソナタ」が一挙放映された。 こうして「冬のソナタ」は2400億とも2700億ともいわれる経済効果を生み出し、日韓の文化交流に多大な意義をもたらしていく。
番組は、作者の支配を離れて視聴者の側に移り、その観客によって育てられるといことになったのだ。
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