黄禍
相模川を渡り茅ヶ崎に入ると、みかんや柿が黄色い実をつけている。秋は黄色が目につく季節だ。一方、桜の葉はしだいに色づきはじめた。落葉の準備に入っている。
「フランケンシュタイン」は怪物を作った人の名前で、怪物の名前ではない。だがフランケンシュタインといえば、あの継ぎはぎだらけの人造人間をたいていの人は思い浮かべる。
この怪物はいろいろな人間の臓器を継ぎ合わせて誕生したから、元の体(bodies)の名残をそこここに残している。黄色い肌もそのひとつだ。それが何だと日本人ならばぴんとこないであろうが、ヨーロッパにあればこれは東洋人を意味することは当然のことらしい。
18世紀後半、東洋からやってきた中国をはじめとするアジアの人たちがあっと言う間に勢力を伸ばし、ヨーロッパの人々に脅威を感じさせ、その反発の声が起きた。「黄禍論」だ。黄色い肌をもつ輩が増えると社会が不安定となり危険であるという差別の論だった。
だからフランケンシュタインの怪物も黄色い肌をもつ東洋人の属性をもつから、当然危険な存在つまり怪物(モンスター)に押しこめられていく。
幼い頃、私らの肌を黄色と思ったことはない。これが普通の皮膚で、いわゆる白人は白いというより赤味がかった白つまり桃色人種にみえた。江戸時代の人たちが「赤鬼」と呼んだのは理解できる。色白の肌というのは秋田や新潟でときどき見かける雪のように白い肌のひとを指すのであって、「白人」なんかじゃないと思っていた。こういうのをエスノセントリズム(自民族中心主義)というのだろうか。
そのデンで言えば、白人がみずからを白と名乗り、アジアを黄色、アフリカを黒とさげすむことも当然エスノセントリズムの謗りを免れられないはずだ。
話は違うが、先日シナリオ作家上原正三から聞いた沖縄出身の金城哲夫のエピソードを思い出す。金城は高校から日本へ来て、玉川学園で学んだ。この学園の園長は教育者として知られている。本土復帰前の沖縄に対しても教育者は理解を示しおおぜいの琉球人を受け入れていた。
寄宿舎にいた金城は、あるとき外部のイベントに参加して帰寮が遅れた。たまたま、その日は金城の当番でもあった。慌てて帰って来ると、門のところに園長が立っていて金城にこういったそうだ。「この琉球人め!」
後に、金城が上原にこのことを告白する。その金城の目には怒りはなく、悲しみに満ちていたという。
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