物語を作ること
小川洋子と河合隼雄の新刊『生きるとは、自分の物語をつくること』を読んで、またまた物語のことを考えている。
精神分析のなかで、患者は物語を作って治っていくという話を、河合がしている。患者は、自分という存在がなぜここにいて、どんな理由で病んでいるかということを語ることが患者の恢復につながるというようなことだろうか。この場合の物語とはストーリーのことを指すのか、それともナラティブという語り方を指すのだろうか。「物語論」というものの基本の部分に、まずこだわる。
人は小さいときから物語が好きで、なんども聞く。なんども物語をせがむ。オトナになってもミステリーを読み映画を見続けるのはなぜだ。これはどういうことだろう。
ヒリス・ミラーの「物語」をちょっと噛じる。物語を虚構と転じて、虚構とはアリストテレスのミメーシス(模倣)に該当するとミラーは言う。模倣が楽しいのはリズムをもち秩序だているからだ。さらに人は模倣を通じて学習するからだ。この2つの理由で、人間は物語をあくまでも求めていくというのだ。
たしかに、物語は一つのまとまりのある(秩序だった)ものだ。バラバラになっていたら面白くない。一寸法師の話に鬼が島やお菓子の家が出てきたら、理解しがたい。ある意図のもとのプロット(因果関係の要素)が集められているから、読者は物語を理解し楽しむのだ。
そして、その理解を通して人生の秘密を一つずつ学ぶのだ。
<もし、小説を読んでいなければ、恋をしていると気づくこともないだろう>
物語をなんども味わうのは、いろいろな役を演ずる役者の気持ちと似ているのかもしれない。いろいろな人生を体験(模倣)できる。自分をとりまく文化を学ぶことができる。
ミラーは反復しパターン化する物語は、人に安心を与え、リズムのある繰り返しは本源的な喜びを与えるという、ちょっと意外なことも指摘している。
なぜ、こんなことを考えているのか。明後日、2回目の「冬ソナセミナー」があり、そこでメロドラマ論を話すことになっているからだ。メロドラマも物語で、なぜこの形式を人は追い求めるのかということを考えようとしているのだ。
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