天空の星から帰ってきたのかい
今日1日、大伴昌司の世界だった。
午前10時、池上の駅で京大のS先生と院生のK君とまちあわせをする。
3人で大伴昌司の仕事部屋を撮影することにした。99歳の大伴のお母さんは元気よく我々を迎えてくれた。応接室に入るなり、お母さんが嬉しそうに報告する。
「今朝、不思議なことがあったのですよ。誰もいないあのアトリエに行ってみたら、あの子が使っていた机のライトがともっていたのですよ」
また、大伴さんが舞い降りて来たようだ。彼の「霊」がイタズラっぽくやって来ることは、故内田勝少年マガジン元編集長から何度も聞かされていたからだ。私自身も25年前に彼の番組を制作するときにいくつか経験している。
正午までアトリエ撮影をして、午後から鎌倉に移動した。大伴さんのお墓の撮影をするためだ。25年前に、私は大伴さんのウルトラ星のお墓は詣でているが、もう一つ、新しく出来た個人の墓は知らない。その個人墓とウルトラ墓の二つとも鎌倉にあるということで、撮影も兼ねて墓参することにした。
鎌倉の駅には知人で鎌倉在住のMさんが待っていてくれた。地元の案内をかってでてくれたのだ。4人で、まず妙本寺にある個人墓を訪ねた。駅から7、8分の場所に妙本寺はある。街中とは思えないほど森閑とした寺域だ。ここは比企一族が滅ぼされた歴史的に有名な地でもる。
大伴さんのお墓は墓地の奥、佐竹矢倉と呼ばれる洞穴の隣にあった。私ですらこの個人墓の存在は数年前に知ったのだが、どうやって知ったのだろうか、おおぜいの大伴ファンが墓参に訪れているらしい。墓前に怪獣やウルトラマンのフィギュアがいくつも並べられてあった。さぞ、大伴さんは喜んでいるだろう。
その寺から逗子のほうへタクシーで移動。鎌倉と逗子の境にある鎌倉霊園に行った。ここは西武が開発した広大な墓地。その19区画に大伴さんのウルトラ墓がある。1973年の4月、大伴の死後3ヵ月後に建てられたこの墓には墓碑銘が刻んである。
「大伴昌司 怪獣生みの親大伴昌司は 1973年1月27日 天空の彼方ウルトラ星に旅立つ」
どんより空は曇っていたが、塩梅よく雨に降られることはなかった。鎌倉小町通りにもどったのは午後3時を回っていた。京都から来たS先生とK君は今夜の新幹線で戻る。
私は分かれてから、東海道線で大磯に戻り、夕闇のなかを帰ってきた。
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