なんとか現象
土曜の朝の布団のなか、窓から朝日が差し込んで来る。光の直進する部分だけほこりが立つ。極小の糸くずがゆらゆらと舞い上がる。
たしか、チンダル現象といったのではなかっただろうか。いや、光のことを指すので、このほこりはコロイドとかいったのではなかったかな。
昔、聞いたある文豪のエピソードを思い出す。明治から大正にかけて活躍した作家だったと思うが、名前は思い出せない。
彼が朝の都電に乗った。車内に光が差し込んで、彼の座席にも光があたった。目の前に無数のほこりがゆらゆら立つ。思わず息を止めた。そして、横の暗がりのほうへずれた。そこで深々と彼は息を吸った。
バカだよなあと嘲笑できない。私もときどきそうするから。
詩人の石原吉郎が一時期俳句に熱中していたと聞いてうれしくなった。「断念の海から」とか「望郷と海」などという書名から、てっきり石原は短歌好みかと思っていた。なんとなく塚本邦雄のような言葉遣いだと思っていたのだ。
石原は30歳のときにシベリアに抑留される。反ソ行為で重労働25年の刑を処せられた。ひどい暮らしを強いられた。38歳のとき特赦で日本に帰って来る。当然、この体験は彼を苛むことになった。
彼の混乱が、3冊のノートに残されている。
《生きて行くことは、どうしてこんなに難しいのだろうと、ため息をつきたくなる。》
《酔って自分がどうしたらいいだろうということばかり考えるようになった。酔えば酔うほど自分が不自然でたまらないのだ。》
42歳の石原のつぶやきである。人生論的な側面においてのみ、60歳の私が直面していることと同じだ。
むろん、石原には実存の深い亀裂のなかから発しているのであって、柔な還暦が愚痴るのとは違うのではあるが。
石原は酒におぼれていった。「世界がほろびる日に かぜをひくな」と記して、62歳で死去した。
む、今の私と2つしか違わない。
今朝、パソコンを付けたら、昨日までデスクトップにあったアイコンが消えていたが、一瞬そこにあるかのように見えた。残像のように。蕪村の句を思い出し、ふざけてバレ句を作った。
アイコン昨日の画面の在りどころ
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