目にはさやかに
朝の瞑想の間、風がポプラの梢を渡っていくのを聞いていた。時期はやや遅れるのかもしれないが秋の訪れを風で知るというあの短歌を思い出す。
ついでに、本歌取りした俳句のことも思う。どんな句だったか気になったがなかなか思い出せない。ググルったらどうなるかと思ってやってみると、これが当たり。きちんとその句に突き当たる。
秋来ぬと目にさや豆のふとりかな 大伴大江丸 (江戸後期の俳人)
これは川柳に近い味なのだろうが、俳味がたっぷりあると思う。さやかとかさわやかというのは秋の季語だそうだ。春先にも爽やかと感じることがあるが、歳時記的にはおかしいことになる。ということは、湿気のない空が澄んだ日というのは秋に多いということか。たしかに春は爽やかといってもどこか湿度を含んでいるようなところもある。
梢を渡る風というのはほんとうにいいものだ。耳にしているだけで心が落ち着いてくる。
小学校の頃、同級生で梢ちゃんという子がいた。当時、××子とか○○子とかばかりだったので子のない名前は珍しかった。顔に赤毛のアンのような可愛いそばかすがあって、駆けっこの早い女の子だった。梢は木末という意味だということを、今朝の風で突然判った。
木の端っこのほうを言うのだ。その先端部分を風が触っていく。
今、また風が吹いた。
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