内トラ
しかし、よく降るよなあ。毎日、夕方になると雨模様になり、バケツをひっくり返したような大雨が降る。
昨夜は、その雨のなかを歩いてエスニック酒場で飲んだ。
座の中心は、円谷プロの満田かずほ監督。彼から、特撮映画のあれこれを聞き取りしたあとの打ち上げだ。
円谷プロ草創の頃の名作といえば、初期ウルトラシリーズ」でQマンセブンの3シリーズだ。つまり「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」。この初期の作品から満田さんは参加している。
仙台の高校を卒業後、早稲田大学に入学。学生時代からTBSでアシスタントディレクターとして働く。そのときに社員だった円谷一に可愛がられ、ドラマのあれこれを間接的に指導される。満田さんは円谷一を師匠と呼ぶ。一は円谷英二の長男で、円谷プロの最初のテレビ映画「ウルトラQ」を作ることになったとき、TBSから出向する。そのときに、満田は円谷プロに所属するよう、円谷一から勧められた。
最初はQの助監督だったが、シリーズの後半に第21話「宇宙指令M774」で最初の監督作品を担当する。円谷プロ生え抜き監督が誕生したのだ。その後、ウルトラマン、ウルトラセブンで活躍する。ドラマの本編部分と全体の統括を担当するのが監督で、特殊撮影のパートは専用の監督がいた。それ以外にポストプロダクションの光学処理を担当するものもいた。とにかく忙しかったそうだ。
監督をするのは必ず2本同時にスタートさせるカップリング製作を行っていたが、それでもスケジュールはぎりぎりということが相次いだ。
シリーズの1本目とか最終回を担当するのは監督にとって名誉なことだ。「ウルトラセブン」の最終回を担当したことは満田さんの誇りだ。モロボシ・ダンがアンヌ隊員に自らの正体を告白するというストーリーは1話では語れないと2回にわたって描いた。その告白の場面で見せた、逆光を使った演出は今でもファンの間で語りぐさとなっている。
ロケの苦労話を聞いた。現場は都心から車で30分ほどの生田が多かった。今では考えられない田畑や崖や林があった。毎朝、世田谷でロケバスに乗り込み現場に出かける。エキストラを集めておいても必ず2、3人来ないのがいる。そういうときは、身内のスタッフがエキストラ代行する。これを「内トラ」というんだよと、満田さんはいたずらっぽく微笑する。
そういえば、満田監督はよく画面に出ていることはファンの間では知られている。
後年、満田さんは熊本県荒尾市のウルトラマンランド初代館長に就任する。
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