ロックの神様・あいさつ状返礼
定年のあいさつ状を、昔から世話になった先輩、上司、仲間、取材で知り合った人、たちに送った。文面はこの「定年再出発」のブログの冒頭に記した。
この数年、定年あいさつ状をもらうことが多くなったのは、当方も歳をとったからかもしれない。他のひとはどんな文面にするのか気になっていた。印刷屋の見本そのままの文章で味気ないものが大半だが、時に「おや」と思う葉書を落手することもあった。だからといって、その送り主に返事を書くこともしなかった。
私の場合、300通送ったところ、十数枚返事がきた。意外だった。うれしいものだ。
私は駄句「定年やむかしつもりて春隣り」をあいさつ状に掲げておいた。この句に応じてくれた先輩がいた。昨年末まで机を並べていた大先輩のHさんである。現在は完全に引退して丹沢山麓に隠棲している。Hさんは日本ロック界のパイオニアであり重鎮でもある。伝説的な番組「ヤングミュージックショー」をほとんど制作した人物で、今も大物ロッカーが来日すると連絡してくるほどのキャリアをもっている。今から30年も前、放送局内をノータイ、ロンドンブーツ、ジーンズ上下でロングヘアーをなびかせて闊歩していた。日本のロックシーンを創出した一人だろう。私は「ロックの神様」と呼んでいる。
そのHさんが60歳を過ぎた頃から日本回帰を始めた。その頃私たちは知り合った。外見とは別にHさんはとても真面目な人だった。「滝のアリア」なんていう不思議な番組を作っていた。芭蕉の句を口にするようになっていた。後年「奥の細道紀行」なんて番組を作る。
そのHさんから私の句に対する返礼が届いた。
定年やむかしのつもりで春となり ニヤリとし感動もした。春隣りは、春となりとかけたつもりでいたから、「分かってくれた」という思いとパスティーシュ(模倣、もじり)こそ俳句の精神だからHさんの返礼は叶っているという共感が交差したのだ。
さらにHさんは、その句に続けて(ズにのって)、古今の名句に「定年付け」して書いていた。
定年や後朝(きぬぎぬ)つらしほととぎす
定年やかかる恋しき横顔と
定年やちがう乳房と会いにゆく
定年を曲がると晩年が佇っていた
定年や命の果てのうすあかり
もじりのあまりのくだらなさに私は声をあげて笑った。歳をとることも悪くない。こんなユーモアも生まれるのだから。
Hさんは昨夏天皇と同じ病になったとおどけていた。肺がんの第3過程にある。
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