この星にいること
渋谷駅前に、九州系居酒屋がある。博多名物モツ煮込み。それを肴にして熱燗を飲む。
元来、酒席は好きだが酒が好きなわけではない。それが、最近だんだん晩酌風に毎夜飲むようになった。
夏の終わりに夜空の下で酒を飲む。
今夜は一人で飲んでいる。ちばてつやさんの番組の構成表を片手に飲む。
・・・うん、うん、良く書けている。飲む酒がだんだんうまくなる。うれしくなって、ケータイでSプロデューサーにねぎらいの電話をいれる。「頑張って、この調子でロケアップまでもっていこう」
昼間、社員食堂で珍しい人と会った。24歳から27歳のときによく遊んだHくんだ。彼は私より3歳下だから今年57歳。去年、定年をむかえ現在は関連団体でライフプランナーとして働いているとか。やあやあということで、お茶を飲みながら近況などあれこれを話し合った。
当時、私は荻窪に住み彼は西荻窪で暮らしていた。隣町ということで、四六時中つるんで遊んでいた。主に天沼八幡前にある喫茶店「ぽろん亭」を中心とする交遊だった。クボカク、チー坊、ドピロー、ミヨ、カズオミ、モコと愛称で呼び合っていたなかで、生真面目なところがあるHくんはHくんのままだった。「あの頃、夜遅くまで遊びました。ああ、そうだ。現代史の勉強会も数回もったこともありましたね、みんな真面目だったな」と懐かしそうなHくん。「でも、みんな早々と死んじゃいましたね。ミヨさんもクボカクもカズオミも・・」
「今どこに住んでいるの」と私が聞くと、千葉の内陸部で渋谷から2時間のところに妻と子供といっしょにいるという返事。
「ぼくね、前の妻と別れてから、40歳の頃に再婚したのです。前は子供がなかったのですが、50歳のころに出来ましてね」と言うではないか。「じゃあ、子供さんいくつ?」「7歳の男の子。一次定年した身としてはきついすよ。あと20年は働かないと」
仰天した。彼は77歳まで働くつもりだ。昔はオトナシく無口なほうだったHくんはすっかり変わって世慣れた口をきく人に変身していた。
長く営業畑にHくんはいたのだが、子供が生まれる頃に総務へ移った。そこで、退職対象者の人生設計のアドバイザーとしてキャリアを積んだ。
「退職して迷う人たちに指針を与える仕事でしょ、だんだん喋りがうまくなりました」なるほど、それでよく話すようになったのだ。
30分近く話し込んだ。懐かしい昔話もあったが、老後の人生設計のケースについてもあれこれ聞いた。詳細は書かないが、気楽そうに見えているがみんな意外に苦労しているのだと知った。
昔は胃弱でいつも胃薬ばかり飲んでいる若者だったHくん。
「まあ、先のことはなんとかなるでしょと思うことが一番ですよ」と言って呵々大笑した。
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