アオイの赤ちゃん
中島葵の全作品集の1、2巻を読む。その生い立ちの数奇もさりながら、葵のもつ鋭くナイーブな感受性が発露した文章にうたれる。
「過激な花」と歌われた葵が、一方で、まったく離れた地点に思いがけないことを記している。「TAKEちゃん」という不思議な文章。
40代に入るか入らない頃であろう。葵は新宿富久町のアパートに住んでいた。そこから時々銭湯に通った。そこに1歳ぐらいの男子TAKEちゃんがいた。
30歳ぐらいの母が着替えをしたり体を洗ったりしている間、TAKEちゃんは脱衣所のベビーサークルに転がされている。そこにオンナたちが集まる。たちまち人だかりとなるが、誰も手を出さない。《よほどのことがないかぎり、ベビーサークルの中に手を入れ抱き上げようとはなかなかしない。なぜならお互いに、遠慮しあっているのだ。》
遠慮しているオンナの一人が葵だ。本当は葵もほかのオンナたちも抱き上げたいくせに。
《あのあんよを歯で、かみたい。
桃の毛のような頭に、フーと息をふきかけたい。
その小さな手でアアー、タケちゃん私のおっぱいさわって――》
嬰児(みどりご)を離れて愛しむ――こういう感情を初めて知った。オンナたちにこういう行動があるということを知った。
私生児として生まれた葵には、父もいなかったが姉妹もいない。熊本の家には、母は働きに出ていて、葵の周りには溺愛した祖父と、母とは年の離れた二人の伯母だった。老人ばかりの家に葵はひとりいた。学校へまだ行かない葵が「あたしも妹がほしい」と言ったら、祖父が二つ折した座布団を帯で葵にゆわえておんぶしてくれた。うれしがった葵はいつまでもその「妹」をあやし話しかけた。
妹欲しか孫に結わえる夏座布団
残酷な運命を書くべきか否かためらう。
が、記しておこう。中島葵の人生はまるごと後世にも伝えたほうがいい。
彼女の45歳の命を奪ったのは、子宮頸がんであったという事実・・・。
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