空がいつしか高くなり
暑いのは暑いのだが、峠は越えたと感じられる。朝夕の空が高くなりはじめた。なにより日がつまってきた。ついこの間まで、7時を過ぎても明るかったのに今は6時で暗くなっている。町中にいるとみんみん蝉ばかりだが、大磯の山中はひぐらしの哀しい音色が響いてくるようになった。
今朝、こどもが5時頃に家を出た。朝早くからバタバタしていたので目が覚めた。撮影の仕事が入ったようだ。リビングから聞こえてくる物音に耳を傾けながら、20年前を思い出していた。朝のニュースワイドのための中継で、5時起きはしょっちゅうであった。眠いが、今から本番が始まるのだと思うと奮い立つものがあった。
あんなことはもうできない。気力はあっても体力がついていかない。
藤沢周平の新刊『帰省』を手にした。発行は7月30日となっているから出来立てだ。1997年に死んだ作家の新刊というのも不思議な気がするが、副題に未刊行エッセイ集とあるのを見ると納得。解題によると、これまで3つの周平エッセイ集があるが、そこからこぼれていたものを発見したので出したとある。周平自身は「たわいもない日常茶飯のこと、たとえば炉辺のむだ話のような文章まで世に出すのはどんなものだろうと」考えているのだが、死後、彼の遺志とは関係なく、こうして4つめのエッセイ集が世に出た。
多くは、作家デビューしてからまもない頃の文章で、後年の藤沢文学の香りはすれども熟成が少ない。当然のことだが。
だから、周平自身もこういう書をはたして望むだろうか。
ファンの立場から見れば一編でも藤沢のあの端然とした滋味あふれる文章を味わいたいと願うのは、分かる。が、待てよと言いたくもなる。
ところで、前から気になっているのだが、文藝春秋から出る周平の本の題字はくせがあって、私はあまり藤沢のひととなりと合っているとは思えない。今回の新刊でもそれが用いられている。気になって仕方がない。
作家は死んでも、作家が生み出した世界は滅ぶことなく、それだけがまた一人歩きしていくものだな。それも含めて作家の運命なのだろうか。
秋になったら、これまで食わず嫌いにしていた藤沢の「一茶」や「長塚節」などの伝記小説を読んでみようかな。
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