五輪音頭
北京五輪の開会式を見ていたが、あまりに長いので途中棄権。だから聖火の点火や五輪旗掲揚も見ていない。
それにしても、開会式のイベントはすごいものだった。演出を担当した張芸謀監督の力は、相当のものだ。金に糸目をつけずにやれと言われても、ここまで出し物をあれこれ考え、しかもすべて統制がとれた形で実施するというのは並大抵の能力ではない。13億の中国のパワーを満天下に示すことが大きな目的であろうが、映画監督としてのこれからはどうなのだろうか。近年の彼の作品はしだいに興行中心になっていることが気になっていたが、今後ますますそうなるかもしれない。
孔子の「朋あり遠方より来る」から始まり、中国の3大発明を誇示するなど、社会主義国とは思えない発想でイベントは構成されていた。人の波によるパフォーマンスは13億の民の国をいかんなく発揮していた。ロングショットや空中撮影で見ると大きな渦であったり花畑であったりするが、演技する若者を捉えたクローズショットでは、その顔に玉のような汗が吹き出ている。国の威信を高めようと必死で演ずる若者の目が美しい。
何万発も繰り出される花火を見ていて、北京がものすごい緊張に包まれていると感じた。この花火の炸裂に合わせて爆発物が仕掛けられるともかぎらないじゃないか。開会式を潰そうとする勢力があって、その攻撃を水面下で必死で守っているという当局の激しさが、どこというわけではないが画面からひしひしと感じられた。これまでのオリンピックでは、破壊する策動というものがうごめいていると実感するようなことはなかったが、この北京五輪だけは特別に感じる。この数ヶ月に起きた聖火リレーの厳戒体制などから、勝手に私が想像しているだけだろうか。
東京オリンピックのとき、中学生だったぼくらも狩り出され、運動会で「東京五輪音頭」を踊らされたことを思い出した。
ハアー (ソレ)
あの日ローマで ながめた月が
(ソレ トトントネ)
きょうは 都(みやこ)の 空照らす
(ア チョイトネ)
四年たったら また会いましょと
かたい約束 夢じゃない
ヨイショ コリャ 夢じゃない
オリンピックの 顔と顔
ソレトトント トトント 顔と顔
輪になって踊ることが恥ずかしくて嫌だった。おざなりに手足を動かすだけだった。だが、あの頃はただノー天気に「四年たったら また会いましょと」と鼻歌を歌う時代だった。
今朝、テレビは長崎原爆式典の中継をやっている。毎年、8月9日の11時2分を心にとめている。広島と違って、その模様が毎年テレビで中継されるとはかぎらないのだが、今年はある。時間が来て、長崎の鐘が1分間鳴らされた。昨夜のイベントとはまったく違う簡素な式典。長崎の夏は暑い。
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