雛とアルバム
小さなスタジオで、岡田斗司夫氏と詩人の佐々木幹郎氏との対話を収録した。
二人とも関西人で、フィーリングが合ったのか気持ちのいい対談となった。
この1年あまり、佐々木さんは日本の人形文化をずっとルポしている。その佐々木さんの関心は、伝統的な人形文化にフィギュアは入るかということだ。
結論から言えば、入るということ。そのウンチクをいろいろ傾けてもらった。
ひな祭りに飾る雛人形の話になった。現代のひな祭りスタイルになったのはつい最近のことだ。
古い型のひな祭りは山陰や北陸の旧家に残っているとか。そこでの体験を佐々木さんは語った。お雛様は代々の母、祖母、曾祖母らの形代となっている。それが壇上に並び、壇下に当代の娘が座る。娘から見上げるお雛様の列は家代々の女たちの姿である。ひな祭りは代々の先祖と出会う場になっているというのだ。
ここまで佐々木さんが話したら、岡田さんが「それって現代で言えば、アルバムですね」と応じた。おばあちゃんや曾おばあちゃんらの姿が写真として残されているアルバムが、その代々のお雛様にとって代わっているのだということを、岡田氏は発見したのだ。
一見、同じような顔にしか見えない雛の顔。昔の人にとっては、一つ一つ違いかつ亡くなった先祖の面影を宿していたことになる。写真をもたない昔の人は思い出とか面影を残すというのは大変だったろうなあと同情するのは、どうやら間違いらしい。我々の想像を超える仕方で過去を記憶していたと思われる。
このエピソードは何かを示唆していると思えてならない。昔のことだから、資料や史料も残されていないと諦めているが、そうではない可能性を教えている。
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