
懐かしさは雨とともに
夜中に激しい雨が降った。慌てて、窓を閉めた。時計を見ると、1時40分を針が指していた。コップ一杯水を飲んだ後、しばらくベッドに座り込んだ。最近の自分を思う。何かを待つようで何も起こらず、人との交わりも希薄で、ただ読書する日々。たたきつけるような雨音を聞きながら、苦いものを噛み締めているうち、どうしようもなく眠れなくなった。
雨音の隙間から懐かしい思いが立ち上がってくる。具体的なイメージではない。懐かしい何かが聞こえてくるような、こみあげてくるような、聴覚と味覚が混合した少し変な感覚だ。共通感覚というのがはたらいているのだろうか。
眠れぬまま読み止しの本を手にとる。村上春樹訳のサリンジャーの「キャッチャーインザライ」。残りが10ページを切っているから一気に読了しようと思う。
素行不良で放校になったホールデンが、プチ家出を敢行する。火のついたような勢いで、ニューヨーク近郊を動き回る。落第生の悪あがきの記録といったらホールデンが可愛そう過ぎるか。すがら、ホールデンは欺瞞に満ちたこの世を見聞し腹を立てているくせに、一方で、過ぎし日を懐かしんでいる。
ホールデンを支配している感情は懐かしさだ。たかが16年しか生きていない彼の心に去来するのはものみな懐かしさだ。数年前にちょっと付き合ったガールフレンドのことであったりや兄思いの妹フィービーの可愛さであったり。
だが、この小説には不在の二人が重要な役割を果たしている。一人は小説を書いていて、今はハリウッドへ行ってしまった兄のDB。もう一人は頭がすごく良かった弟でホールデンがその才能を愛したアリー、彼は先年死んでいる。この二人への思い―懐かしさといえる―がこの生意気でナイーブな少年の心をとらえている。
ところで、なぜ兄のことをネームでなくDBと呼ぶのだろう。英語習慣は分からないが、この表記により、不在感はじわじわと染み出てくる。
つげ義春や滝田ゆうといった貸本漫画出身の作家たちが好んだ描法がある。人物の顔を黒く塗りつぶす方法だ。姿かたちは日常なのに顔だけがシルエットになっている。「影の国」の人だ。こういう人物が登場するごとに、読者は懐かしい気分に襲われる。
――そして、今朝。もみじ山は夜来の雨で生き返った。森のツヴァイク道に分け入る。
昨日まで、暑さにあえぎ白茶けていた夏草が、今朝は青々としている。石畳の山道も黒く濡れて美しい。
夏の森なのに、今朝は初秋の匂いがする。梢の上に広がる空は水色でこよなく高い。山道の曲がり角のガレ場から清水が湧いていた。今を見ているのに懐かしい。
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