軍事少年たちの30年代
小学校5,6年の頃、軍事関係のことに夢中になったことがある。戦記雑誌「丸」などは愛読書だった。昭和30年代の話だから、世間一般はあの戦争に対する嫌悪感が色濃くあったから、子どもの世界と少しずれていたことになる。少年サンデーにはそういう軍事もののネタがよく特集された。
60年安保の前夜で、反戦的気分は横溢していたが、少年文化のなかでは、日本陸海軍のモードに少年たちは惹かれていた。
もし、ミッドウェー海戦のとき、空母の艦上にある飛行機を一刻でも早く発着させておくことができたなら、戦局は変わり、その後の日本軍の敗退はなかったかもしれない、などという日本軍神話に目を輝かせて読みふけったものだ。零式戦闘機つまりゼロ戦はもとより、重巡洋艦の鳥海、古鷹、軽巡の妙高、雪風などの兵器の姿、形(シェイプ)に憧れた。当然、その頃流行していたプラモデルなかんずく兵器モデルに夢中になった。
この現象は少年たちが軍国主義に憧れているというわけではない。一方で、沖縄や広島の悲惨を社会科で学習して、そういう戦争の悲惨に対して漠然とした憤りをもっていたから。それは、宮崎駿監督が戦車などのミリタリーが大好きだという気分と似ている。人殺しの武器が好きだというわけでなく、兵器の機能美や性能を想像することが好きだったのだ。そして戦争という極限で無私に生きていたと伝説化された人々が気になっていた。
昭和40年代に入り、少年マガジンでちばてつやの「紫電改のタカ」が始まると夢中になった。太平洋戦争の末期に紫電という高性能の戦闘機が開発されていた。それは改良を重ねた。だから紫電改があるわけ。こういう事情を知ったうえで構成された「紫電改のタカ」は少年たちの心を鷲摑みするのは当然だった。引揚者であるちばてつやも戦争を美化するつもりは毛頭なかったはずだ。
「紫電改のタカ」の主人公滝城太郎と「あしたのジョー」の矢吹丈は私のなかでは重なっている。
日本軍の究極の秘密兵器は何か、ということが20世紀少年達の間でよく話題になった。高速偵察機彩雲とか大型水上機2式大艇とかロケットエンジンの秋水とかが挙がったが、少年達のもっとも憧れたのは、大型爆撃機「富嶽」だった。B29の4倍ほどある大型爆撃機で太平洋を一度も給油することなく渡って、アメリカ本土を直接爆撃できるという、空の要塞だった。この飛行機の設計が進められていたが、時すでに遅く敗戦となり、この計画は幻に終わったと、「丸」は熱く語っていた。この記事を読みながら、”愛国”の炎を団塊の少年たちは燃やしていた。
それから7年、ベトナム戦争が泥沼化していた頃、少年達は戦争反対を叫ぶようになり、やがてやって来る70年日米安保を断固粉砕するとヘルメットをかぶっていた。
先日、亡くなった評論家の草森紳一は少年達の間でなぜ戦記がブームになったのかは、戦後史の重要な課題だと指摘していたことを想起する。
紫電改のタカの滝城太郎が終戦を前に、愛する祖国の人々のために特攻として飛び立つ。機影が日輪のなかへ消えていく、その場面を見たとき、いいようのない悲しみと怒りを感じた。後知恵で考えれば、「紙屋悦子の青春」を見終えたときの気分に近い。
この漫画はけっして軍国主義を美化したものでなく、むしろ反戦の意識が裏打ちされていたと言い張りたい。ぼくらの青春はこの「紫電改のタカ」から「あしたのジョー」へと連なっていくのだった。
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