漫画編集者
昨夜、ちばてつやさんのマネージャーと担当編集者を交えた食事会に出た。
マネージャーは長男のヒロシさん。編集者はヤングマガジンのイシイさんである。このイシイ記者がとても面白い人でその話に引き込まれた。
4年以上、休筆していたちばさんを引っ張りだしたのが、このイシイさんだ。69歳となり視力も減退したちばさんに再び筆をとってほしいと働きかけたのが半年ほど前だったそうだ。そこで、持ち出したのがちばさんの自伝を書いてほしいということだった。3つの話が候補に挙がった。満州で逃亡生活を送ったこと、少女漫画を描いていたときの傷害事件、スポーツ漫画へ転身する頃に患った病のこと、の3つだ。そのうちの病のことは他誌に譲ることになり、近頃発表された。「赤い虫」という題のその作品はなかなかのものだ。
赤い虫というのは、若い頃にちばさんが患った病だ。寝ているときに虫が這いずりまわり、体の一部で留まって弾けるということを妄想する精神の病だ。この症状は通称「皮膚寄生虫妄想」医学的には「妄想障害(身体的)」と言うそうだ。精神が極度に緊張していたりすると発症する。赤い虫というのは比喩ではなくちばさんは本当に悩まされ苦しむ事が続いた。その出来事を漫画にしたのだ。
ちばさんは、数々の名作をものにし、紫綬褒章まで受けている作家にもかかわらず、まだ読者に受ける、受けないを気にする人で、この自伝漫画も、他人には面白いのだろうかと、ずっとイシイさんに不安を口にしていた。そこが、ちば先生の凄いところなんですよとイシイさんは語る。
この病を克服するために、ちばさんは野球を始めた。元来スポーツ音痴で体を動かすことがなかったちばさんが、野球をやって身体を使うことで、その症状が軽減されていった。その野球は70歳近くなった今もやっている。編集者として、イシイさんは先生の体を案ずるが、「先生、今でもヘッドスライディングをやっちゃうんですよ」と呆れる。
こうして、それまで少女漫画を中心に描いていたちばてつやさんが、病を克服しながら少年スポーツ漫画家へと転身していく。「俺は鉄兵」「あしたのジョー」「あした天気になあれ」「のたり松太郎」と名作が生まれていくのだ。
イシイさんは次作を担当している。ときわ荘の漫画家たちとの交流を描いた作品。これが実に面白そうだ。イシイさんはそのさわりを少し話してくれた。その話し振りが、落語家はだしの熱演で、思わず引き込まれる。偉大な漫画家には優秀な編集者がいるのだ。
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