自明を疑って
ケータイ小説やキャラクター小説、ライトノベルなど新しい傾向の「読み物」がいろいろ出てきた。私の場合、ケータイの利用は電話以外皆無だから、ケータイ小説の読み方も知らない。分かっても、あの小さなウインドウで覗くのは辛いから、たぶん読むことはないだろう。
だから、読んでいないから、それぞれの作品について喋喋はできないが、新しい読み物群に対して誹謗や中傷が飛び交うことには反発を感じる。最初から文学とはこういうものと決めてかかって、そこから外れるといって差別したりするやり方は、嫌だ。
このところ、マルヤサイイチなんて大家がそういう発言をしていることは気になる。もっと寛容であればいいのに。
大塚英志の『キャラクター小説の作り方』を読んだ。私が今述べたような批判を展開している。現代の日本人は、小説といえば自然主義文学の写生文のようなものだと思い込まされてきただけであって、それも文学の一つの形に過ぎない。だからキャラクター小説のような文学の出現もありうるのだと論ずることには与したい。
同様にフィギュアという新しい文化を指して、あれはたいしたことがないとかオタクのものだと言って過小にしか評価しないことも変じゃないか。旧来の美的基準から外れるからといって貶めるのはある意味で視野狭窄だ。
この数年、私が関わってきた、「冬のソナタ」、「日本のSF]、「少年誌」、「ウルトラ怪獣」などは長い間エスタブリッシュによって弾かれてきたものばかりだ。当初、私も偏見があったが、研究するうちにそこに豊かな”文化”が内在することを発見していった。
今、そのフィギュアにこだわっている。海洋堂というそのフィギュア文化の総本山にいるボーメという原型師は凄い。どれくらい凄いかは10月の番組を見て知っていただきたい。
ボーメというのはむろん綽名で、少年時代いつも帽子をかぶって眼鏡をかけていたからつけられたという。謎の原型師。世の中の私と同世代のオジサンたちにその凄さを知らしめてやるのだ。
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