認知
立体テレビというものを初めて体験した。映画の大きなスクリーン画面では見たことがあるがブラウン管の走査線上の映像というのはこれまでなかった。
映画同様、赤と青の眼鏡をかけて見る。右と左の目の視差を利用して遠近感を味わわせるためだ。
スクリーンで見るときは、視野全部にその映像が入ってくる、というか巻き込まれているから、体全体で立体感を味わう。ところが
29インチのブラウン管では、視野の中央に映像があっても周囲の風景も視野のなかに入る。そうすると、奇妙なことが起きる。
立体映像を見ているのだが、ときどき認知が2次元になっている。自分が見ている画像は2Dではなく3Dであると、自己励起してやらないと画像が立体化しないのだ。画像はあくまで3Dで流れているのだが、放っておくと2Dの認知になっている。
どうやら人間の脳は遠近を必要としない場合は、外景を2Dで見ているらしい。脳が3Dにいつも合わせていると脳自身が疲れるからだ。
つまり、遠近が必要なときとは、モノを取ろうとするときとかモノが目に飛びこんでくるときとか、歩いているとき走っているときとかである。座ってじっと何もしないときは、主体には何の刺激も危険もなければ、見ることは2次元でとどまるらしい。
人間の脳のくせか。他の感覚器官でもそういう認知が下位で止まる方法はある。
例えば、聴覚。今私は寝床にいてこの文章をパソコンでカタカタ打っている。ベランダの向こうに聳えるケヤキが風に揺れてさわさわと葉ずれをたてている。遠くから犬がケンケンと細く鳴いている。さらに遠くから高速道路の車両音が鈍く響いてくる。パソコンに集中していると、すぐ車両音は無くなり犬も消え、葉ずれもしなくなる。間近のパソコンの音さえ忘れる。そして、音が消えていたと思った途端に音はすべて甦る。
嗅覚の場合はとくに自動的に麻痺しやすい。異臭があってもしばらく経つと慣れて気にならなくなることが多い。
人間は四六時中五官をすべて使っていたら脳は相当疲れることになるのだろう。省けるところは省いて認知するようになっているのかもしれない。これって、映像の圧縮技術とよく似た考え方だ。日本のアニメ技術もそうだった。動く必要があるモノだけ動かしてそれ以外は動かさないという方法だ。
ところで、私の見た立体テレビの映像制作経費はかなりのローコストである。映画で同様のものを製作しようとすればおそらく桁が2つから3つは違うだろう。なにせフィルムでなくビデオテープですむから,何度も撮影できるし、画像処理も簡単だ。なにより簡単なのはカメラだ。単眼ですむ。普通、立体撮影の場合、2つのレンズを使うものだが、私の昨日見た映像は1つのレンズで撮って立体化させるというすぐれものだ。
しかも、さきほどの私が見た29インチのブラウン管だけでなく、画面を拡大してスクリーンにも投影できる。だから、実際に観客に見せるときはスクリーンの大画面にして見せることにすればかなりの驚きを与えるに違いないと思った。
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