かえり道
吉本隆明が大庭みな子との対談で、「かえり道」という言葉を持ち出していた。
冷酷無惨の道をまっしぐらに駆け抜けたとして、そのかえり道にはセンチメンタルとナルシズムをかかえこむこともあるだろうと言う。
それが太宰治であり、詩人であれば中原中也だと吉本はみている。
このかえり道という表現が心に残る。
最近のテレビ番組はあまりにメッセージばかりが目につく。
サミットが近づいて、どこの局を見ても「エコロジー」のテーマが多くなっている。そこで語られるのは、環境を大切にしようというメッセージばかりが声高な番組だ。このエコのキャンペーンというのは、10数年前には「地球船宇宙号」というキャッチフレーズで語られたこととよく似ているなと思う。
地球というのは宇宙にぽつんと浮かぶ船のようなもので、そこにはすべての生命が乗り合わせている運命共同体だから、大切にしていこうというメッセージがこめられていた。
その趣旨は大事だと分かるが、なんでもかんでも、いつでも語られていると、なにか反発もしたくなったものだ。そんな”大きな”枠組みより、目の前で起きているコソボのような紛争や景気の衰退をどうするかが問題だろうといった感じで。
この誰も反論できないような立派なメッセージというものが、前に立ちはだかった番組というのはいささか憂っとおしい。
やはり、「かえり道」のような場面で、やや湿り気を帯びた感情的な表現というのが必要じゃないだろうか。
別にキャンペーン番組だけではない。昨今のお笑い番組の洪水にしてもそうだ。あまりに笑いにばかりテレビは向き合い過ぎてはいないだろうか。
深夜のチャンネルはほとんど同じ顔ぶれのお笑い芸人の世界だ。
お笑いも本来かえり道の芸だったと思うが、今は往き道からかえり道までずっととなっている。一本調子だ。
これは他人事ではない。私の作る番組もメッセージだらけで、しかも最初から終わりまで一本調子になっているという隘路にはまりがちだ。
自戒をこめて、かえり道の導入を考えねば。
追伸:夜7時になって間違えた表現に気づいた。「地球船宇宙号」ではなく「宇宙船地球号」だ。
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