センチネル(歩哨)のように
村上春樹の評論を読んでいたら、サリンジャーを無性に読みたくなった。「ライ麦畑でつかまえて」を読んだのは今から30年以上前のことだろうか。ニューヨークのお坊ちゃまホールデンが親と喧嘩してくさくさした気分でニューヨークを歩き回る物語としか覚えていない。ホールデンはたしか妹のことをずいぶん気にかけていた。少年の心をずいぶんナイーブに細々と書いた小説だという印象しかない。なぜ、これが名作と呼ばれるのだろうと首をかしげて読んでいた。その後で、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』が話題となりその小説の面白さを知ってから、なんとなく「ライ麦」の小説的テイストを理解した気にはなったが。
そのあやふやな記憶の「ライ麦」だが、そこに流れていた雨の休日の昼下がりの気分は私の脳の端っこにこびりついている。
ちょうど、今日の日のような雨季の日曜日だったはずだ。主人公のホールデンがカッパをまとって傘だけもって家を飛び出した――。
昼過ぎ、雨の中目黒を出て品川から東海道線で大磯に帰る。活発な梅雨前線による激しい雨が電車の窓をたたく。電車はいつもよりぐんと空いている。寒々しくヘビーな雨では誰も家から出られるまい。1号車のトイレの前の優先席に座ってウィスキーの水割り缶を片手に、内田樹を読む。
大磯に戻り、紅葉山に向かって歩く。雨はますます激しく。坂道を小川となって雨水が落ちてゆく。春夏秋冬この山のことを記録しておきたいと欲求が起きる。カメラをバッグから取り出し、傘とカバンを片手にもう一方の手にカメラという危なっかしい手つきでシャッターを押す。梅雨どきのもみじ山を本日は撮影しておく。人影のまったく絶えた山道に佇んで森の緑に目を凝らし、雨の日の森の匂いに鼻を利かせる。ツヴァイク道よ。
ホールデンがライ麦畑のキャッチャーになりたいのと同様に、私はもみじ山の「センチネル(歩哨)」になりたい。内田樹は「センチネル」の仕事とは、誰もやりたがらないけれど誰かがやらないとあとで困るような仕事を、黙って引き受けることと記している。
私は奉仕する精神が薄いほうだから、公共のためにセンチネルをやるつもりはない。もみじ山ツヴァイク道と時間が限られた我が家を守るための「センチネル」になりたい。
だから、今日もこの山に帰って来た。
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