綺羅星のごとく
昨夜7時から新宿紀伊国屋サザンシアターで、「公共性とエリート主義」というセミナーが開かれた。NHK出版の『思想地図』発刊に際しての記念シンポジウムだ。
講師は東浩紀、北田暁大、姜尚中、宮台真司、鈴木謙介。旧知の姜尚中さんは私と同世代だが、他は若い論客ばかりだ。それでも、ブルセラ時代に寵児だった宮台さんも40過ぎてこのなかでは年長になろうとしているから、他の人たちはあまりに若い。
観客も若い。会場には600人ほどの若い男性たちでいっぱいだった。ほとんどが20代。30過ぎはおそらく学者かギョーカイの人たちであろう。フシギなのは女性の数が少なかったことだ。
国際化、グローバリズムで日本が溶解しつつあるなか、どのように社会システムを打ちたてたらいいのかという議論であった。このところ宮台はエリートというか前衛というか、目覚めた人間が中心になって社会の機軸を作っていくべきという考え方に立っているのだが、その立ち位置に若い鈴木謙介が挑発するという構図でフリーディスカッションが進んだ。相変わらず、宮台の話には現代の古典とでもいうような書物からの引用をしながら説得的、かつエスプリをきかせた話し振りは面白い。私は宮台の文章や話に出てくる書物を、後でチェックするのが趣味としているのだ、実は。
初めて知った鈴木は気鋭の社会学者らしく、今風の言葉遣いで「社会に愛を」と説くのも楽しかった。東は現代最高の若手論客と言われているが、昨夜はやや威勢が悪かった。説得的でないのだ。宮台の論に介入して揺さぶるつもりが、自分の論に絡め取られているような、「再帰的」思索とでもいいたい話となった。
当初の東の目論見は、この溶解状況に対して全体的でなくていいからパートタイム的でいいから考えていこうよという、ぬるいリベラリズムを提唱するつもりだったらしいが、その論を展開するまでに到らず、宮台がもつ社会のシステムの綻びに対する苛立ちのようなものが浮き彫りになる議論だった。といって、この議論が不快だったわけではない。むしろ共有したいと私は思った。あからさまではなかったが、このディスカッションの底流には先日のアキバ事件の加害者の問題があったことを、書きとめておこう。
宮台真司―東浩紀―鈴木謙介、と並ぶ日本の「思想地図」はなかなかワクワクするものがある。サザンオールスターズとでも呼んでおこうかな。
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