くろがね
薄い青空が見える。梅雨の晴れ間でよかった。
雨が降るとぞっとする。ぞっとせざるをえない事情がある。その屈託を忘れたいと、寝床で本を読む。このところ愛読している庄野潤三だ。『星に願いを』。
このタイトルは映画ピノキオの挿入歌の題名だが、と思って読むうち、やはりそうだということが分かる。庄野らしくない題だがと首をひねると、彼の音楽好きの環境から、その歌が好ましいとされる理由が開示される。
庄野は寝る前に、ハーモニカを吹いて、それに奥さんのコンちゃんが合わせて歌う。「ふるさと」であったり「紅葉」であったりする。いまどき、こんな老夫婦がいるのかと思ってもみたりするが、私小説だからありうるのだろう。たまに手紙を書いてくる孫のふーちゃんも、手紙は饒舌だが、実際は無口で素直な女の子。
そんな庄野夫婦は「山の上」に住んでいる。
たまに、宝塚を見に下界へ降りると、銀座から大久保へ回って、「くろがね」に行く。開店したときから井伏鱒二が通った店で、名前も井伏がつけた。彼を大将とするワセダ派の面々がよく利用した。ワセダ派と交友があった庄野も気のおけない店ということで、長年贔屓にしている。驚くのは、そのくろがねに行くことを庄野は1週間前から葉書で店に知らせていることだ。「何月何日、宝塚公演をみたあと、夕方、お店に行きます。家内と二人です。よろしく」手紙が到着すると、お待ちしていますと店から電話がかかってくる。
私もこの店に3,4回ほど足を運んだ。そのうちの1回は、クロサワ組の名スクリプター野上照代さんとご一緒した。野上さんは井伏さんグループと交友があったこともあって、ここがなじみになったのだ。
つまり、この店は井伏鱒二の店だ。亡くなって十数年経つが、この店の中心の席の壁には井伏鱒二展のポスターが張ってある。庄野はそこで飲むのが好きで、飲んだ後、そこでごろりと横になって20分ほど眠る。食後の一ねむり、それが楽しみだと、記している。
それから、小田急の各駅で生田までぐっすり眠り、タクシーで家まで帰って、風呂に入って寝床に入る。「ああ楽しかった」と思う。
庄野潤三87歳。
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