99歳の記憶
大伴昌司の母、四至本アイさんは1910年生まれ、数えで99歳になる。
ほぼ1世紀生きてこられたことになる。
昨日、四至本さんを訪ねた。先日亡くなった内田勝さんの葬儀の模様を報告するためだ。
大伴昌司晩年の友人は内田勝と作家の平井和正さんであろう。とりわけ、内田さんと大伴は少年マガジン全盛の時代を作り上げた戦友の間柄ともいえる。あの伝説的な巻頭図解の企画を大伴が300以上にわたって世に送り出すことに陰で尽力したのが内田さんだった。大伴のアトリエで明け方まで二人はあれこれ仕事の話や四方山話をしていた。アトリエの隣家に住んでいた母の四至本アイさんは内田さんのことをよく知っていたが、内田さんのほうは大伴が急死するまで四至本アイさんの存在を知らない。大伴の正体は、内田のような親しい者にも秘密にしていたのだ。
大伴死後、内田さんは四至本アイさんの存在を知るのだが、知ってからはこの母のためにいろいろと骨折ってきたこともあって、四至本さんにとって内田さんの死去に対する思いはひとしおのものがあるだろうと思い、私は葬儀に出席できなかった四至本アイさんに報告に参上したのだ。
先年、足を挫いて外出が不如意になったが、耳もはっきりしているし目はまだ近眼ということで、私の報告もすべて四至本アイさんはよく理解していた。それだけに内田さんという息子の同世代の死は辛いだろうと推測した。
四至本アイさんは3日前にやはり急死したSF研究家の野田昌宏のことも言及した。野田さんのことも大伴からよく聞かされていたという。生涯、独身だった野田さんだがそのプライバシーについても、大伴は四至本アイさんに語っていた。だから、相次ぐ死には、心穏やかでないものがあるだろう。
野田さんは日本SF作家クラブの創立メンバーの一人だ。SF第1世代が去っていくことに石川喬司さんも辛いでしょうねと、四至本アイさんは思いやっていた。たしかに、石川さんは内田、野田氏ともに長い付き合いがあった人だ。SF文化、キッズカルチャーの「布教」のために手を取り合ってきたはずだ。この連続の死は、石川さんにもこたえているに違いない。
四至本アイさんは日本SFの50年をすべて見てきた人だ。
だが、もっと凄いのは関東大震災から軍部台頭までの10年間の、日本文壇のことも体験してよく知っていることだ。竹久夢二の最後の恋人といわれる山田順子や、美女作家長谷川しぐれのことも、昨日、私は初めて聞いた。まさに歴史の生き証人だ。その記憶は驚異的なものだ。
昨日、四至本さんからあれこれ聞いたが、まったく知らない話ばかりだった。そこで、社に戻った後、資料室で調べたところ、その情報の確かさに驚く。そればかりか、語られた事実は当事者しか知らないものばかりだった。
長谷川しぐれの主宰する「女人芸術」に注目していたこともあって、そこで「放浪記」を林芙美子が発表したことも知っていた。彼女らの動静について、実によく知っていた。
本気で、四至本さんの聞き取りをやらなくてはいけない。
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