執着のない関心
先日亡くなった内田勝さんの生き方を思うと、実に美しかったと憧れる。
講談社に入社してすぐ少年マガジンの編集部に配属となり、立ち上がったばかりのキッズカルチャー(少年文化)を育て、30歳の若さで編集長となり、やがて発行150万部の偉業を達成する。この頃の内田さんの多忙ぶりは群を抜いていて、民放のドキュメンタリー番組にも仕事人間の例として取り上げられるほどだ。彼は風呂につかりながら企画書をチェックしたり、話題の本を読んだりしている。
その頃に大伴昌司と出会い、森羅万象を図解するという新機軸を打ちたて出版文化に多大の影響を与える。一方、漫画においても梶原一騎やちばてつや、川崎のぼる、水木しげるといった異才、鬼才と出会い、彼らの才能を引き出して、満天下をおおいに沸かせた。
その後、少年マガジン誌を離れ、月刊現代やホットドッグプレスなど大人向け若者向け雑誌の編集に変わっていく。講談社の中でも内田さんの異能ぶりが認められ、若くして常務にまでのぼっていく。
が、大きな組織の限界を感じて、新しい事業へと転進する。
そこで、内田さんの活躍は一時華々しさを失うが、けっして人生を投げ出したりはしない。
それまでに培った交友を大切にし、仕事だけに生きるのでなく、趣味としての歴史や美に造詣を深めてゆく。内田さんの人生の休憩時間だったのだろう。
やがて、ソニーピクチャーズの宗方さんと出会う。宗方さんは少年の頃見た「巨人の星」や「あしたのジョー」に胸躍らせたことがあって、その感動をもう一度得たいと思って、内田さんという存在を知る。ちょうど、宗方さんは衛星放送のアニメチャンネルを立ち上げようとしていて、その指南役を内田さんに依頼する。ここで、年少の宗方さんの申し入れに応え、内田さんは顧問として、かつての仕事仲間や漫画家の人脈をフルに活用して、新しい試みを成功に導いていく。
20歳以上、年の離れた宗方さんの相談に内田さんは打算抜きで応じる。内田さんはこれまでの自分の仕事ノウハウを惜しみなく与え、かつ自身の業績を相対化する。執着のない関心を持ちながら、若い新しい世代に分け与えるのであった。
ここで、神谷美恵子の「こころの旅」の一節を思い出す。
《現在まわりにいる若い人たちの人生に対して、エリクソンのいうような「執着のない関心」を持つこともできよう。彼らの参考になるものが自分にまだあるなら、よろこんでこれを提供するが、彼らの自主性をなるべく尊重し、自分は自分で、生命のあるかぎり、自分にできること、なすべきことを新しい生き方の中でやって行こう、という境地になるだろう。》
神谷が説く人生の秋の生き方の見本のような内田さんの晩年であった。
人間一生のこころの旅は、一生の終わり近くになって初めて好ましい旅であったかどうかが分かると神谷はしるしているが、内田さんの「こころの旅」は見事に美しく好ましいものであった。
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