心の扉を閉めないで
ちらっと見たワイドショーで、ある母親の証言に心がどすんと揺れた。
悲惨で詳細に記したくないが、名古屋で起きた暴行事件の被害者の女の子についてのことだ。
13歳の少女は、その後食事を摂ることもままならず食べると吐いてしまう状態が続いていると、その子の母親が苦渋の証言をしていた。
少女は母に「どうして生まれてきたのだろう。自分は汚れてしまった。死にたい」という言葉を口にしたという。それを聞かされた母は引き裂かれそうだと、カメラに語っている。少女の心境を思うと辛い。そしてその母の苦悩も深い。
少女は自分を責めている。邪悪なものに蹂躙されて不正な状態に落とされたと感じている。ついたシミは消えないし、もはやここに存在することは許されないと希望をなくしてしまった。少女の心に扉が閉まりそうになっている。
母親や身内が必死になって、その閉鎖する扉の隙間に手をかけて、押し戻そう、希望の薄明かりを差し込まそうとしている。
この少女に、あなたの「絶望」や辛さを理解できる、時が解決してくれるからと安易な慰めを言っても、今の彼女には届かないだろう。
なんで、こんなことになったのだろう、そういう邪悪な存在と出会う運命だったのか、もう自分の人生は将来何もない、という自分を責めることばかりが、少女の胸に去来するのではないか。
そう想像するだけで、他人である私ですら少女が不憫に思われて仕方がない。親御さんはどんなに辛いだろう。
神谷美恵子の「こころの旅」を読みつづけている。彼女の言を借りれば、人生を生きるというのはこころの旅を旅するようなものだという。小児期は小児期なりに、青年期は青年期なりに苦難の影がさす。その都度の危機を乗り越えるなかで、人生の滋味に出会うという。今のわたしの関心は老年期、もしくは向老期の危機だが。この少女は思春期のとば口で苦難にあったわけだ。
たとえ、老年期に入ろうとも、少女の苦しみへの共感をもちたい。少しでもその苦しみを軽減できるならと考えているとき、私は自分の苦悩から解放されていることに気づく。
こんなエゴイスティックなことが許されるかと戸惑いながら、こころの旅とは何と神秘なものかとため息をつく。
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