残された者の傷
朝から冷たい雨が降っている。この国にもそろそろ雨期が近づいている。
自殺者が増えていると聞く。年間3万もの数で命が失われていく。こういうことは、先進国のなかでは異常だという。宗教的基盤が薄いせいもあってセーフティネットが弱いのだろうか。自殺の主な原因は人間関係だと、自殺防止を呼びかける団体を取材した人から聞いた。病苦でもなく、人との関係で絶望していくというのだ。
防止団体は相談の窓口を開いている。そこに来る相談は自殺を企図する本人もあるが、自殺された家族からの連絡も多いそうだ。残された家族として、なぜ止めることができなかったのかという、心の傷がギリギリと彼らを苛む。残された者がむろん悪いわけでもないのだが、当人にはそう思えないのだ。この傷がひどくなって心の病に至ることもある。自己防衛としてサイキック・ナミング(心的麻痺)に陥ることもある。無感動な状態になるのだ。
小学校時代の友人を思い出す。
彼の父が自宅で首を吊った。大騒ぎになって、警察がやって来た。近所の人らが野次馬となって家を取り囲んだ。小学校高学年だった私も遠巻きで見ていた。友人は駆けっこの早い運動神経のいい、誰からも好かれる温厚な性格だった。その友人はどうしているのかが気になって大人に混じって私もそこにいた。次の日から、一週間ほど彼は学校を欠席した。
登校してきたとき、母親といっしょだった。
教壇の上に彼は担任と並んだ。どうしたのだろうと訝しく思った。「×君は、今度転校して○○市へかわっていきます」と担任が告げて、×君に代わった。彼が何を挨拶したか覚えていないが、いつもと同じやさしそうな笑顔でさよならと言ったことだけは目に焼き付いている。
授業の最後まで居ず、母親と学校の門を出て行った。
あのときは分からなかったが、今になってあの母と子はすっかり傷ついていたのだということを思い知る。
その後、時々、彼が住んでいた家の前を通ると思い出した。その家は長く空き家が続いた。
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