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アンネの父

「わたしの望みは、死んだあともなお生き続けること!」  
(「アンネの日記」から)


アンネ・フランクは世界的ベストセラー『アンネの日記』の作者だ。彼女の一家はもう一つの家族と歯科医ら8人で、ナチの追跡を逃れてアムステルダムの河畔にあるビルの隠れ部屋におよそ2年にわたって隠れて住んだ。そのときの様子を綴ったのが『アンネの日記』だ。やがて、彼女らの存在が密告によってナチに知られて、アウシュビッツに送り込まれる。
そこからも移送され、ドイツ国内にあるベルゲン・ベルゼン収容所に連行される。そして、1945年3月にアンネはその収容所で病と飢えによって15歳の若さでこの世を去ったのだ。

母のエーディットとはアウシュビッツまでいっしょだったが、父オットーとは別れ別れになる。オットーはそのままアウシュビッツにいて、1945年1月27日にソ連軍によって解放される。つまり、もしアンネがアウシュビッツに留まっていたら生き延びていた可能性もあるのだ。今回、彼女の年表を作成しながら、この不条理な事実に気がついた。

一家でただ一人の証言者、アンネ・フランクの父オットー・フランク。彼は生涯をかけてアンネへの思いと生きた。
オットー・フランクは、戦後、亡き娘の日記を発見して幾度となく読み返し、出版化を考えたが躊躇するものがあった。日記は個人のプライバシーに関わることがいくつも書かれてあるので、それを公開することにより愚劣な噂や憶測が出ることを恐れたのだ。だが、長い間悩んだすえに彼女の遺志を継いで出版を決意した。その意志とは、冒頭に掲げたアンネの言葉である。

たしかに、思春期前期にあったアンネは性のことにつよい関心をもっていたし、同居していた人々の悪口も書いていた。だが、彼女や同居者の置かれた境遇を丁寧に見ていけば、けっしてそれらは人間として恥ずかしいことではない。だが今から60年前のモラルはそこまで開かれておらず、娘のくせに不謹慎なと受け取られる危険性もあったのだろう。

だが、父の心配は杞憂で終わった。この日記が1947年に出版されるやたちまちベストセラーとなる。その後50カ国で翻訳され、世界中に3000万冊のファンをもつことになる。『アンネの日記』は、聖書の次にノンフィクションのベストセラーと言われるほどとなった。

「アンネの日記」初版が1947年に発行されるや、世界中から感想や質問がオットー・フランクのもとに届いた。世界の隅々からオットーに宛てられた日記を読んでの感想の手紙と、アンネに関する質問だった。「アンネって、どんな子どもだったのですか」「アンネはお父さんのことを好きだったけど、お父さんはどう思っていたのかしら」

それに対して、オットーは一つ一つ返事を書いた。晩年、オットーはスイス・バーゼルに住んだ。その自宅で毎朝、「いつか私には目覚めない朝がくる。さあ、今日もアンネの仕事をしよう」と言いながら、すべての手紙に返事を出していたのだ。
日本からの手紙も100通を超え、返信にはアンネの素顔についてオットーが丁寧に説明綴られた箇所も多いと言う。

最愛の妻、そして、二人の娘マルゴーとアンネの命を奪われ、ただひとり生き残ったオットー・フランク。彼は日記が世界的なベストセラーになった後も、生涯非常につましい生活を続け、収益を隠れ家生活の支援者への遺贈や、青少年への教育施設設立の資金にあてた。オットーは生涯をかけてアンネの想いと生きたのだ。

去年の2007年1月27日、ニューヨークでオットーが親類や友人に宛てた手紙が見つかったと外電が伝えた。ナチの迫害がひどくなったので、彼はアメリカへ亡命することを画策したいたのだ。80通におよぶ手紙には、娘2人だけでもアメリカに亡命させることができないかと模索する必死の想いが綴られていた。

今、わたしはこの父オットーのことを調べている。


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by yamato-y | 2008-05-24 17:50 | Comments(0)
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