白雄にひかれて
さうぶ湯やさうぶ寄りくる乳のあたり 加舎白雄
うまいというか、すっと入ってくる句だ。江戸中期の俳人加舎白雄。
信州上田藩の江戸詰めの武士だったという。たびたび家を出ている。破門をうけたり友と喧嘩をしたり。若い頃はかなり短気であったと伝わる。なんとなく人物像が浮かんでくる御仁だ。
自分ではけっこう人とのつながりもこなせるタイプだと思ってきたが、振り返るとなんとも不器用な付き合いしか出来ていないことに、最近になって気づく。嫌いなものは嫌いとすぐ口に出てしまう、ないしは顔に出てしまう。出た以上は、相手だってそれに気づいて不快になるだろう。自ずと疎遠にならざるをえない。この繰り返し。
自分を加舎白雄に例えるつもりはないが、白雄の人生を仄聞して、その狷介な生き方に共感というか同情を禁じ得ない。そんな厄介な人でも、こんな滋味あふれる句を作る。そのことに少し励まされる。
白雄の春の句だけチョイスして味読してみた。
母恋し日永きころのさしもぐさ
さしもぐさは鍼灸のやいとのことだ。
ふたまたになりて霞める野川かな
春のおぼろな気分に溢れている。
瀧夜や誰か寝て行鹿島船
大磯駅を朝通過する寝台特急を見るたびにこの句を思う。
去年よりことし仏のわかれ哉
私にとっては去年のほうが仏が多かった。とはいえ、まだ半分だから後半はどうなるか分からない。先輩たちが世を去っていくのはさみしいが、若い人が逝く「逆縁」はつらいものがある。
蝋燭のにほふ雛の雨夜かな
春3月、まだ小寒い日がつづく。雨の夜はしめきった部屋に雛を照らすろうそくがある。その灯が、じりじりと燃え尽くす。かすかに油煙が匂う。
家あるまで桃の中みちふみいりぬ
あかつきや人はしらずも桃の露
桃の林というのは見たこともないが、早春の紅い花は目にしみる。桃の中みちというイメージに惹かれた。
人恋し灯ともしころをさくらちる
白雄の代表句だ。私の好きな備後の詩人木下夕爾の世界と重なる。
水つたふうしろの丘やつゝじ咲く
昨日の出水を体験すると、ツヴァイクの道もうしろの丘になるのかなと思う。
物がたり読さして見る藤の花
夕暮れ近くに読書していると、時間を忘れる。ふと目をあげると藤の花房が風に揺れている。
たんぽゝに東近江の日和かな
近江は母の在所であり、私の生誕の地でもあるから、この字を目にするとつい立ち止まる。それにしても近江は春にかぎる。
白雄は生涯独身で54歳で死んだ。現代の若者が歌う歌よりも、江戸時代の中級武士の思いのほうがよく分かる気がする。仮にこの読解が誤読であっても、私の白雄だからかまわない。これは、先日若い友人から教えてもらった「技法/テクネー」だ。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング