夜行電車、若葉の頃
夜9時半に大磯駅を立った。
思い立ってトウキョウへ向かう。理由は些細なことだ。でもどうしても行きたくて、暗い山道を降りてきた。おりよく15両連結の東京行きが来た。この電車に乗れば品川には10時22分に到着する予定だ。
最後尾の車両にはわずか7名しか乗っていない。ガランとした車内は清清しい。窓をのぞいても辻堂あたりまでは真っ暗だ。
それにしても、揺れが激しい電車だ。体が左右に大きく揺れて、片手のチューハイがカチャカチャ鳴る。
乗客の一人ひとりが懐かしい感じがする。夜行電車だからだろうか。
さっき、駅に向かう夜道で思ったのだが、最近の私は毎日毎日を大事にしているのではないだろうか。ひとつひとつの出来事をしっかり自覚して行動していると思う。というか、今生きているこの時間は帰って来ないと自覚して、そのディテールをしっかり把握して生きているという気がするのだ。
20年前、私が40歳になるかならないかの頃は傲慢というか無自覚というか、日常のくらし、身のまわりのことなどには関心がなかった。担当している番組の取材や構成のことばかり仕事だけに目が向いていた。子どもの運動会も遠足も、一応話として聞いているだけで、それ以上の関心をもたなかった。あの頃のことは半ば夢のような心地がする。子どもたちが、日曜の夕方に「ただいま」と言って帰って来たこともドラマを見るようにして記憶を再生している。
でも、そんな霞がかかった記憶ですら、少しずつ取り戻したいという心境になってきた。
日曜日の夕方6時、「ちびまるこちゃん」が始まる頃、息子が自転車を引っ張って帰ってきた。幼い娘はテレビのまわりで主題歌に合わせて踊っていた。ときどき、ちゃぶ台のそばのお鍋に足をひっかけてひっくり返し、母親から叱られていた。私はぼんやりテレビを見ていた。そんな光景が目に浮かんできて、突然、上京したくなったのだ。
大磯から品川まで夜のしじまを移動するように、60歳の私から40歳の私へと時間移動できないだろうか。すっかり若者になった長男が小学生に、年頃の娘になった長女が幼児に、もどっていく通路というものがないものだろうか。
夜行電車の終点は、エジンバラ駅成増ホワイトビラ改札にならないかな。
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