春の雨、静かに静かに
週末はどうやら雨ばかりとなるらしい。
大磯紅葉山の庵でぼんやり夜の雨を眺めている。静かで、雨が地面に落ちる音だけしかない。机の上に小皿を取り出し、線香を立てる。それに火をつけてうっすらと香りを楽しむ。
書棚に黒い革の手帳を見つけた。フィレンツェのcellerini製と刻まれて高そうなシステム手帳だ。誰かからプレゼントされたはずだが、贈り主のことが思い出せない。手帳には1995年の6月のこと、つまり私が脳内出血を発症したときのことが私の字で書かれてある。それ以外の記述はないから、あの病になる前にこの手帳を私は取得して、闘病の記録だけをこの手帳につけたのだと思う。
その記述を読んでいるうちに神妙な気分になる。
6月19日、深夜に後頭部痛にて、平塚市民病院の緊急外来に駆け込む。数分待たされて、医師の診察を受ける。その間、激しい嘔吐感にさいなまれる。血圧は269まで跳ね上がっていて、医師は冷たくまさかの場合もありますと私と家人に通達する。そう言い放ったものの、その医師はたまたま脳外科の専門医で、その夜は当直でいたこともあって処置が早かった。今振り返ると、その夜彼がもしいなかったら私の運命はどうなっていたか分らない。CTスキャンされて、後頭部に出血が見られたため、即入院となる。
その後、保存的治療を施されて徐々に回復してゆく。6月20日から7月19日まで入院となる。わずか一ヶ月だが私には半年ほど入院していたような気がしてならない。
あの年の夏は暑かった。冷房の効いた病室でも、じっと寝ていても汗ばむほどだった。
退院となった夜は嬉しかった。帰りにドライブインに寄ってチャンポンを食べた。こんなに美味いものがあるとは思わなかった。
病院を出てからは外来通院となり、3日ごとに脳外科の待合室に坐ることになる。在宅でのリハビリがおよそ2ヶ月続く。
会社に出たのは9月の初頭、いわし雲が浮かぶ日だった。それはしっかり覚えている。
黒い革の手帳の記述から以上のことを少しずつ思い出した。最近になって気付いてきたが、あの時の私は変だった。あの年のことの記憶は断片になったままでうまくつながっていない。だから、当時の記録が出てくれば、それから類推して、一本の線にしようと今頃になって考えている。
線香が燃え尽きた。ふと、パソコンから顔をあげると、冷たい夜の雨が窓ガラスをたたいていた。静かで明るいのが春の雨の特徴だと秋桜子は記して、原石鼎の句を挙げている。
春の雨音なくなりてふりにけり
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