ひげ面
連休の間、ひげにあたることなく過ごしていたら、今朝洗面所で自分の顔を見てぎょっとした。不精ひげがぽしょぽしょ伸びてみっともない。髭はけっして濃いほうではないのだが、それでも3日間放置すればむさ苦しい長さとなってしまう。
白髪混じりの髪も伸び放題のぼさぼさで梳かしても寝ぐせが直らず、貧相だ。どう見ても前期高齢の失職した顔だ。
14年前、大江健三郎さんを長期に取材したことがある。春から夏の終わりまで、およそ4ヶ月に渡り大江さんの身辺にカメラは張り付いた。大江さんが「最後の小説」を書こうとしていた時期で、息子の光さんは初めてのCDを制作していた時期でもあった。
小説家が小説を書く場面というのはめったに撮影できるものでない。作家が霊感のようなものと交感しながら原稿用紙に一文字一文字を埋めていく”作業”となる。大江さんは当時も今もそうだが、文章を万年筆で書いていく。ワープロやパソコンはいっさい使わない。それは不可侵の作業であって撮影クルーが周辺に立ち入ることなど許されるものではない。そう分かっていても、私たちは撮影したいと思った。特にその小説「燃え上がる緑の木」の最終節を書き込み仕上げる場面は逃したくなかった。
大江さんという人はとてもダンディだ。五十歳を過ぎてもスイミングプールに通ってからだを鍛えていたのでスリムだったし歩き方も膝がすっと伸びて美しい。奥様の見立てだと聞いたがシャツやジャケットも実におしゃれなものを身につけていた。そういう人だから何時撮影に伺っても、髭はきれいに剃られ髪は整えられていた。
プロデューサーである私はクルーに「大江さんの髭面をなんとか撮ってほしい」と指示した。よそ行きではない顔を撮ることによって、番組が予定調和で仕組まれたものではないというリアリティを示すことができると、私は考えたのだ。
そしてチャンスは執筆最終日におとずれた。
その日は朝から大江家にバッハの「マタイ受難曲」がかなり大きな音で流れていた。最後の節を書き上げるうえで、大江さんはその音楽を聴いて気分を高揚させていた。数日前から大江さんの徹夜は続いていた果ての「マタイ受難曲」だったので、その日に「燃え上がる緑の木」最終章の第一稿が出来上がるだろうという予想がついた。
リビングに現れた大江さんは見事に髭面だった。体はきつそうであったが、目がらんらんと光っていた。ゆかり夫人に向かって髭をそらなくてはと呟いた。夫人は「そういう顔もいいわよ」と答えた。すると――
「いや、そう言ってくれるのはあなただけだ。私はもうすっかり60近い汚らしいジジイだ」と嬉しそうに語りながら洗面所へ向かうのであった。
現在の私は、あのときの大江さんよりも年長になっている。私もすっかり60のジジイだ。あのときの大江さんのもっていたエネルギーを、なんとか私も持ちたい。
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