ちょっと迂闊だった
1945年2月、第2次大戦の末期、米・英・ソの3首脳がクリミヤ半島のヤルタに集まった。ルーズベルト、チャーチル、スターリンの3人である。戦争終結後の体制について話し合ったのである。そこでドイツの分割占領や、ソ連の対日参戦と千島・樺太の領有などが決定された。この会談は後にソビエト連邦を盟主とする共産主義(社会主義)の東側陣営とアメリカ合衆国を盟主とする資本主義の西側陣営という二陣営に分かれて対立する出発点となる。東西冷戦―冷たい戦争(Cold War)はこの時からはじまっていたといえるかもしれない。
2次大戦が始まった頃、シラードやアインシュタインら科学者の勧めもあってマンハッタン計画つまり原爆開発に対してルーズベルトはゴーサインを出していた。シラードたちはナチが原爆を開発するようになることを恐れたのだ。最高機密であった。ところが、ナチは開発にうまくいっていないことが45年3月には分かり、科学者たちはナチがこの兵器の開発に成功していない以上、これを止めるべき、対日戦争で使用するのはひかえるべきと警告したが、ルーズベルトは作業を続行させていた。そして4月に急死する。
副大統領のトルーマンが急遽大統領の代行となる。このとき初めてトルーマンは陸軍からこの最高機密を知らされた。そして、7月16日にアメリカは世界で初めての原子爆弾を開発し、ロスアラモスで実験を行い爆発に成功した。軍のトップにあたるスティムソン陸軍長官は原爆投下作戦の実行を新米大統領トルーマンに進言する。これに対し、アイゼンハワーら共和党支持者らは絶対反対の態度をとった。
うかつなことだが、アイゼンハワーは民主党だと私はずっと思ってきた。ルーズベルト、アイゼンハワー、ケネディとアメリカのリベラル、ハト派と思い込んでいたのだ。
2次大戦の末期、ヤルタの会談でスターリンと化かし合いの駆け引きをおこなったルーズベルトが急死した。残されたトルーマンはこのとき初めて原爆が開発されていることを知ったのだ。軍の将軍たちが次々に日本の最後のあがきを伝えて来て、最終解決としての原爆使用を進言してくる。新米で実直なキリスト教徒のこの人物は、気弱と見られたくなかった。ルーズベルトの大きな影がさしていた。・・・そして、ついにトルーマンは原爆投下のゴーサインを出す。
昨日の外信を読んで、これまで誤解していたことを悟った。50年前のアメリカ空軍の機密文書が先頃公開され、そこに重大な情報が書かれてあった。
台湾海峡危機で中国と台湾の軍事的緊張が高まった1958年、米軍司令部が中国に対する核兵器使用を主張したのに対し、当時のアイゼンハワー大統領が計画を承認せず、核使用は見送られたことが明らかになったのだ。公文書には、「(アイゼンハワー大統領が)殺傷力の高い兵器の投下を承認する前に、通常兵器で中国に警告を与えるべきだと明言した」と記されている。
アイゼンハワーのときの副大統領はニクソンだ。彼は民主党のケネディと後継を争うのだから、共和党だ。つまりアイゼンハワーも共和党だった。
だから何だということだが、何もない。ただ大きな勘違いをしていたと思う。
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