書かずにいられない
布施明の歌で「恋」というのがあった。
♬会っているときは何ともないが さよならすると涙が出て来ちゃう
会うたびに嬉しくて 会えばまたせつなくて 会えなけりゃ悲しくて
会わずにいられない ・・・
小島政二郎という作家がいる。芥川龍之介,菊池寛や久保田万太郎らと友達だった人だ。経歴的にいうと、万太郎と同じ下町に育ち慶応で学んだ、同じ境遇だ。だが、前の3人に比べて小島の文学はぱっとしなかった。次第に大衆文学というか、通俗小説を書くようになる。きっと、内心忸怩たるものがあっただろう。
龍之介は30代、万太郎も50代で死んだ。政二郎は長生きした。90代まで生きた。生き延びたというか生き残った。
すると、菊池や万太郎のことや文壇の裏話をなんでもかんでも書き始めた。小意地の悪いまなざしで、故人の不都合なことや不具合を書いた。
読者にとっては文豪や文人のウラが割れて面白いが、朋友としていかがなものかと思うほど、あけすけに書いた。
例えば、万太郎の生家の家業は小島と同じような小間物の商いをしていたのだが、ふくろものやとか何とか言って小商売だと言わんばかりの筆致だったと記憶する。ヤツぁたいしたことなんかないんだと言わんばかりだった。菊池には田舎者めというまなざしが確かにあった。芥川だって偉そうにしているけど、こんな些事にぐちゃぐちゃ拘泥してたんですぜとばらす。そのくせ、いつも気になっている人だということで、本の題名は「眼中の人」。
言ってみれば、「後だしじゃん拳」の筆法ではないか。当事者、関係者が物故してからやおら立ち上がって、実はあのときはああだった、こうだったと書いた。死人に口なしだから誰も反論しない。しかも、話としてはよく出来ているというか面白いのだから始末におえない。
最近読んだ、四方田犬彦の文章もそれに近い。彼の師匠の由良君美について書いていた。狷介なこの人物は、当初、東大教授という立派な人格者として著者の前に現れるものの、弟子が成長していくと次第に嫉妬するようになる。そして、ついには嫉妬の苛立ちから感情を抑制できずにその弟子に手を上げてしまうという顛末だ。
由良という人物像が浮き彫りになっていて、話としては面白いのではあるが、そこまで書くのかとツッコミを入れたくもなる。誰かが、後味の悪い書だと批評しているのを読んで、やはりと思った。
小島にしろ四方田にしろ、書かずにいられないタイプだ。黙って墓場までもっていくのができないのだろう。こんな得難い”物語”を闇に葬るなど到底できないと思ってしまうのだろう。しかも、小島も四方田も文章がうまい。
書くたびに嬉しくて 書けばまたせつなくて 書かなけりゃ悲しくて
書かずにいられない ・・・
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