ツ、ツ、ツ、ツルガのサタ投手
庄野潤三のエッセーを読んでいて、意外な言葉に出会った。彼の父は帝塚山学院の初代院長庄野貞一だったと記憶しているが、その父が寝言でよくこんなことを言ったと書いているのだ。
「ツ、ツ、ツ、ツルガのサタ投手」
おりしも、夏の甲子園の時期だったから、面白がって言っていたのだろうと庄野は推測している。ただ、それだけのことしか書いていない。その投手のことには庄野は何もふれていない。そのエッセーのタイトルは「父のいびき」。だが、私にはぴんとくるものがあった。
戦前、敦賀高校の前身である敦賀商業は甲子園で大活躍をしている。後に阪神監督にもなった松木謙二郎がいた当時だ。彼は、プロ野球草創期の大投手沢村栄治(京都商→巨人)の球を打ったこともある人物。さらに、あの張本にバッティングを教えた名コーチでもある。なかなかの理論派だったそうだ。その松木は敦賀商業を卒業後、明治大学に進学して、最後は阪神の選手として活躍する。
庄野の父は、その松木たちが活躍した敦商時代を、夢のなかで見ていたのだろう。
そこで私が思い出した人物がいる。
敦賀高校の先生でサタという人がいたのだ。松木謙二郎らと甲子園で大活躍したと噂されていた。ところが、実際の人物は苦虫をつぶしたような顔で、うるさそうな商業簿記の先生だった。たしか、いつも白い“ズック”をはいていた。そこだけが、スポーツ選手だったことを感じさせたのだが、とにかくウダツの上がらなさそうな謹厳実直な先生だった。
彼の娘が、私たちの1年下に在校していて可愛いと評判だった。仲間うちで噂になるぐらい美人だった。とても、あの先生の子供とは思えないなあと、不良(ワル)たちは体を鍛えることもなく、隠れて煙草を吸いながら当時流行しはじめていたコーラを飲みながら、戯言を言っていた。そんなこともあって、そのサタ投手を記憶していたのだ。
いや、その人物と同一かどうかははっきりしないが、もしそうだったら面白いなあと夢想した。青春の時期、満天下の若者の心を動かすほど活躍した人物が、後にひっそりと田舎教師を務めているというのも、藤沢周平的で楽しいではないか。
蛇足:
スポーツ選手、とりわけ野球選手の末路ということを思う。プロに入団するときの華やかさをいつまで維持していけるのかと、新人の顔ぶれを見て思う。名球会という鼻持ちなら無い野球人の会があるが、あれに所属できるような選手はともかく、怪我や故障で若くして球界を去ってゆく人を見ると、後半生に幸あれと祈りたくなる。
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