
ついつい入り込んで
実家へ戻り、長く保存しておいたビデオテープを整理する。貴重な映像も放送という日の目を見ないまま消されていく運命に耐え切れず、一部個人としてコピーしておいたものに、風を当てようと2階の子ども部屋のダンボールの箱を開けて動かす。
家は母一人になったので、3人の息子が悪いことばかりしていた部屋は現在空き部屋で、3人の子どもらの思い出の品々が保管されて詰まっている。10年ほど前までは、こんな辛気臭いものなんか早く捨てろよと文句を言っていたのだが、この頃はガラクタが懐かしいものになっている。
中学校の卒業アルバムが出てきた。野球部のメンバーに、先年死んだヒロセくんがユニフォームを着て、仲間と笑って写っている。体操部には北朝鮮に帰ったと聞いた春玉さんが平均台の前でポーズをとっている。死んだり去ったりした人物だからだろうか、その笑顔や澄ました顔が驚くほど透明だ。ついつい、入り込んで部屋に座り込んで、ガラクタを引っ掻き回す。
大学時代の資料の箱が出てきた。中に私のノートがある。驚くほどブランクだらけつまりまったく勉強している様子がないノートだ。ノートの最初だけ書き込みがあるものの、大半は空白で、巻末には漫画をいっぱい描いている。当時、退屈しては劇画風の殺し屋とか逃亡者とかをせっせと描くのが好きだった。いかに勉強していないかは、このノートで一目瞭然だ。
文藝部の機関誌が出てきた。その部員だった学友が、私にこの詩人を読めと言ってくれたものだ。彼は神戸の出身で、名前が「滝の白糸」の主人公と同じ欣哉といった。その欣哉が紅潮した面持ちで薦めてくれたのが吉岡実と黒田三郎の詩集だ。
その学友は失恋したときに、黒田三郎の詩を思いいれたっぷりに私に読んで聞かせたことがある。窓の外にはボタン雪が降っていた。火鉢に手を炙りながら、私は欣哉のあの冬の朗読を感動して聞いていた。彼の失恋に同情して、その苦悩を共有しようと、私も深刻な顔になっていたのだ。
――僕は夜の道をひとり
風に吹かれて帰ってゆく
新しい航海に出る前に
船は船底についたカキガラをすっかり落とすといふ
僕も一度は船大工になれると思ったのだ
ところが船大工どころか
たかが詩人だった
「ひとりの女に」の中の「たかが詩人」という詩だった。
フシギなものだ。赤く日に焼けたわら半紙の謄写版印刷の文字を追っていると、あの頃に意識はずんずん帰ってゆく。
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