京重くして
実家に帰った。春先に寝込んだと言っていた母も、なんとか快復していたのでやや安心したが、今朝も早くから家を出て掛かりつけの病院へ点滴を打ちにいった。
母は昔の私ら子どものものを後生大事に何でもとってある。そんなものの中に、私が脳内出血を起こしたときに書いたメモまである。入院3日目か4日目の朝にまだ私の意識が少し残っているときに記した書きつけである。すっかり忘れていた。というか、そんなものを書いたことを覚えていない。だが、明らかに、私の字だ。字が乱れていて判読しにくい。しばらく考えて、文意の見当をつけた。
京重くして明日軽(ろ)しや越・加賀路 十六面観音さまよう地に
最後の文字「に」は自信がないが、あとはそんな読みになっているだろう、と思う。
歌の意味はまったく通っていない。「昨日の夢は京の夢」とかいう伊呂波カルタの文句でももじったみたいな冒頭だ。今日は病が重いが、明日には軽くなっているだろうという願望を京都と越前、加賀という地名を織り込んで上の句で語り、それらの地を慈悲のシンボルとしての十六面観音がさまよっている、もしくは十六面観音とともに「私」がさ迷っているという、意味のつもりで作ったようだ。自分で書いておきながら他人のことのように語ってしまうのは、おそらく脳出血による意識混濁の状態にあったときの歌だからだ。
読んで少しせつない。
13年前、倒れてショックを受け、早くよくなりたいと願って書き付けたのだろう。母の証言によれば、ベッドに起き上がって何か紙はないかと言ってこの文句をたどたどしく書いたという。なんとか、この病気が明日にでもなってよくなって欲しいと祈っていたのじゃないだろうか。今日は重篤だが明日になれば幸運が「来る」、つまり来しという掛詞にしている。青春の彷徨の地である敦賀や金沢に。
しかし、13年前には将来京都の大学に通うことなど予想もしなかったのだが、今になってみると、私の後半生に京都は大きい。
昨今、そんな闘病のことも忘れて不平を口にすることも多いのだが、こうして命を得ているだけでもよしとしなくては。と殊勝なことを、このカレンダーの裏紙に書かれた自分の字を見て思う。
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