やっぱり、こんな人もいる
ハイデガー問題というのがある。
ドイツの哲学者、マルティン・ハイデガーの生き方の問題だ。
彼は20世紀最大の哲学者と評価される一方、その生き方は実に狡すっからい。
時勢の流れるまま、カトリックからプロテスタントへ、神学から哲学へ、と宗旨を変えている。そればかりか、ナチスが台頭してきたときに、彼を引っ張ってくれた師匠であるフッサールがユダヤ人であったということで白眼視され冷遇されたときも、彼は知らぬ顔の半兵衛をきめこむ。失意のなか、フッサールが1938年に死去したときも、ハイデガーは弔問にも訪れない。
一番問題になるのが、彼はナチスの党員となって突撃隊にその存在意義を鼓舞までしたことだ。
ナチスの引きもあったのだろう、やがて、フライブルク大学の学長までなる。そして、時の権力に阿(おもね)る、いや自ら先頭に立って、ドイツナショナリズムを吹聴しまくるのだ。「闘う学長」とまで呼ばれる。
戦争が終わって、ナチの犯罪が次々に暴かれても、彼は言い逃れをして生き抜いていく。
しぶとい。
これほど、悪行を重ねていても恬として恥じず、自然死を得るのだ。しかも、西洋哲学の最大のアポリア存在論に大きな貢献をしたと評価までされる。
なんだか理屈に合わない気がしてならない。正義はきっと勝つ、などとは言わないが、悪い人でもそれなりのポジションが与えられるというのはなかなか承服しにくい。
そのうえ、私生活においてもフシギな生き方をするのも、私はハイデガー問題として付け加えたいのだが。彼がマールブルグ大学で助教授を勤めていたときに、ユダヤの美少女(当時18歳)ハンナ・アーレントと出会う。そして不倫の関係に陥る。
関係が破局をむかえ、アーレントはアメリカに亡命して、ナチと戦うことになる。
戦後、二人が再会したときも、ハイデガーはナチとの関係を弁明すると、あの賢明にしてフリッパントな(蓮っ葉な)アーレントがその話を信じたという。そして、彼女はこうまで言った。
「嫌いな人の真実よりも、好きな人のうそがいい」
どういうことだろう。世の中には分からないことがたくさんあるものだ。こんな人格をぜひ藤沢周平の世界に投入させたい。悪い男の魅力みたいなものを描いてほしいな。
でも、私としては、最後はベビーフェースがヒールをやっつけるという新日本プロレスパターンにはしてほしいのだが。
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