美味しいものは先か後か
長くとっておいた、藤沢周平の「用心棒日月抄」を読み始めたら止まらない。面白い。作劇もうまいし、自然描写は俳句で鍛えられてうまいし、なにより、ユーモアのある会話が最高だ。初期の藤沢とまったく違う人生の滋味をたたえた文体になっている。大きな活字本で読んでいて、上巻の後半までいった。次の巻までとっとと進めていくのが惜しい気分だ。
一度、読了しているのだが、やはりこの小説はいい。藤沢死後、いろいろな時代小説を読んだが、ずっと期待を裏切られてきた。乙川優三郎は一時いいと思ったが、やはり人間の観察がやや硬い。「泣き笑い」というか、人生の哀感だけでなく微笑もたたえたような文体には届かない。
やはり、同じ読後感をもつのが須賀敦子だ。彼女のエッセーもすべて読んで惹かれた。もう一度、読もうと思うが、さっさと味わうのがもったいなくて、再読するタイミングを考えている。
幼い頃から、すき焼きになると、肉は残しておいて後で食べた。父がよくからかった。美味いものはさっさと食べないと、もし地震でもきたらどうする、誰かに食べられる前に食べておかなくては、と。
そういわれても、私は美味しいものは残しておく性向がある。
たしかに、最初に豆腐や糸こんにゃく、ねぎを食べておなかが張ったところで、好きな牛肉を食べても、美味しさの効能は薄れるだろう。おなかが減った状態で美味いものを口にすれば、美味しさは倍するところだ。そう分かっていても、美味しいものは後回し。
愛読も、同じ傾向。好きな藤沢と須賀の本は、簡単には読みたくない。きっと、そのうちに無聊があって、人生が面白くないときまで、とっておきたいのだ。
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