朝の挨拶
青葉波霧立のぼる高麗の峰
27分の電車に乗ろうと家を出た。お山の端にある薄緑の家ではこの冬ずっと改築を行っていた。
どうやら作業は終わったらしい。足場の金具を今朝トラックに積み込んでいた。8時過ぎなのに若い衆がてきぱき働いている。ニッカーボッカーの怖そうなお兄さん3人が掛け声で鉄パイプを受け渡している。そばを通るとき軽く頭を下げると、コールマン髭の若い男が、「おはようゴザイス」と大きな声で答えた。嬉しくなって「お疲れさん」と声を掛けた。3人の男達は照れくさそうに頭をさげた。
たったこれだけのことなのに気持ちがいい。
わたしの住むお山では挨拶する人が少ない。両隣の人とは交わすのだが、それ以外の人は無視するかそっぽを向いている。つい、こちらも声をかけそびれる。なんだか気まずい。みな年配で午後の人生を歩んでいる人たちなのに、今朝の若者のような挨拶を交わせない。
昨夜遅く、不登校と闘う生徒と先生のドキュメンタリーを見た。中1のとき、同級生の男子にグーパンチで殴られてから怖くなり不登校になってしまった女子中学生の物語だ。不登校専従の教師が地道に支えてゆく姿を描いていたが、当事者全員顔出しで登場していたことにまず感心した。取材し取材される両者の関係が深いと思われる。今、ワイドショーで学校の問題などを取り上げるとしてもほとんどモザイクで顔を消すか首から下の顔なし映像しか撮らない。短期間の取材であったり興味本位の取材だったりするからか、取材される側の信頼を得にくいのだ。
インタビューをしている声からすると、この番組のディレクターは若い女性のようだった。
不登校の女の子が学校の特別室にまで来られるほど少しずつ改善が進むものの、最後の教室にまではなかなか行けない。徐々に教室に近づいていく姿が丁寧に記録されている。
そうして、ついに友達に手伝ってもらって教室に入っても、その子は俯いたままで顔を上げない。上げられないのだ。そうやって1時限過ごす少女の心中。特別室にもどったところで感想を聞くと、「怖い」の一言。
この番組を見ながら、私は、結末は嫌な感じにはならないだろうと楽観もしていた。顔を出して登場するうえは、悪い結果が待ち受けてはいまいと見越してもいたのだ。実際、番組の結末はそうなるが、他の不登校のケースではまだ見通しが立たないものが8件もあると番組の語りは説明して、現実の厳しさを浮き彫りにする。これでいいと私も同意する。
やみくもに悲惨な現状を描く必要はあるまい。こういう取り組みに努力する学校現場を伝えることが大切なのだろう。
精確には論理化できないが、山道を降りながら、挨拶をする心とこの苦しむ女子中学生の心中が何か結びついていると感じるのだが、なぜなんだろう。
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