隠れて生きよ
エピクルスという人はあのエピキュリアン(快楽主義者)の元祖といわれるのだが、その生き方はきわめて質素堅実だったようだ。
その彼の言葉が「隠れて生きよ」だ。
昨日、書店の店頭でハンナ・アレントの新しい本を立ち読みしていて見つけた言葉だ。彼女が取り上げた文脈とは異なるかもしれないが、なんとなく気になってタイトルに置いてみた。言ったエピクルス本人は、人生の最悪は不快だから、そうでない道を歩めというようなつもりであったろう。人生の最良は友情ともしている。
先日、金沢に帰って再会した学生時代の友人たちはまさに隠れて生きていた。この世の権勢や富とは無縁で、与えられた仕事(教師であったりセールスマンであったり)をぶつぶつ不満をもらしながらも全うした人たちだ。酒を呑んで胸襟を開けば、人生への熱い思いを語ってもくれた。
古来、日本でも大隠は市に隠るということわざがある。傑物は隠れているものだというのだ。
一方、ふだん仕事で会う人というのはテレビに出演するような人物が多い。これは目立って生きている人たちばかりだ。人々から注目されて、ちやほやもされる。だが、楽屋などで見せる顔の無表情ぶりは、その虚妄の凄まじさかなと思うときがある。
ここ数年、評判をとっている画家がいる。テレビに出ても道学者のような言をもらす。初期には言わなかったような、説教くさいことばかり言っている。昔は時代に対して苛立ち腹も立てていたはずだが。
先日、その人の最新作を見た。画が荒れていてぎょっとした。難しいものだなあ。
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