生きがいについて
友人が今月号の「世界」に寄稿していて、それを読んで粛然とした。事情があって番組を制作することから外れることになり、その喪失感でこの間長く苦しんできたと書いてあったのだ。
自分の頭のハエすら追えない私だが、彼の境遇については気にはなったので、酒を酌み交わす機会があったときそれとなく物言いをしたことがある。彼は、そんなことなど気にはしていないという素振りで豁然と笑っていたので、私は大丈夫なのだと勝手に解釈していたのだが、今回の文章でその苦悩を知るところとなった。
その脱出の手がかりに彼は神谷美恵子の「生きがい」を手にしたと書いている。そういえば、酒を呑んだとき彼は私が神谷に関心をもっていることにとても興味をもっていた。あの頃、彼は自分のなかの空洞と闘っていたのだ。鈍感な私はそこまでの苦悩を理解していない。
この出来事に呼び覚まされるようにして、昨夜私は神谷の『こころの旅』(日本評論社)を久しぶりに読んだ。《人生とは生きる本人にとって何よりもまず心の旅である。》胸に沁みる言葉だ。幾度読んでも褪せない。
《『しごとの量をこなす』ことだけを人生の目標にしてきた人にとっては、『時間が足りない』というあせりと徒労感もでてくるだろう。それよりもゆうゆうと自分のペースでしごとをたのしむ境地こそ老年にふさわしい》まるで、私に向かって書かれたように思えてくる。
悠々と生きている人を観察すると、若い人から愛し敬われる老人というのは、「愛されることを求めるよりも愛することによろこびを感じるこころが」長く育まれた人が多いと神谷は記す。一見、通俗の言葉に見えるが、今の私には心の深淵にまで下りてくる言葉だ。
朝6時、日がのぼって、窓の外があかあかとしてきた。床のなかにあって一昨夜の大島の星空を思っている。乳を垂れ流したような星雲の彼方ーー。
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