定年再出発 |
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死ぬことを知っている
ヒトやサルは霊長類と称される。この言葉はおそらく英語の日本語訳であろうが、そもそもこの霊長というのはいかなる意味でつけたのだろうか。以前から気になって仕方がない。この場合の霊というのは魂というほどの意味なのだろうか。魂をもった類存在ということか。この霊長類の動物には魂があるということか。 ヒトの場合は自分を振り返って考えると納得できるが、サルの場合は魂があるとは思えない。動物の中でもかなり進化したサルという存在ですら魂というものを保持しているとは思えないのだ。だが、これも根拠があるわけでなく仮説でしかない。ひょっとすると、サルにもあるかもしれない。ヒトがそれを理解できていないだけかもしれない。これって「他者問題」によく似ている。 さて、この霊長ということを考える要件の一つはこれかなと思う事例を挙げる。 あらゆる動物の中で、ヒトだけが死ぬことを知っているということだ。死ということを現認できることもあるが、いつかは死ぬという未来の蓋然性もヒトは知っているのだ。これは他の動物とは大きく異なる点だ。 では、サルはどうなのだろう。ヒトとサルの間にはかなり大きな溝があって、この認識はサルにはないと推測される。これも推測だけであって、事実認識とはならない。そう見なしているに過ぎない。 以前、「人体」というテレビドキュメンタリーで類人猿の葬送の儀式を紹介していた。数万年前彼らが生息していた洞穴の一角に”墓地”があって、その遺骨とともに花粉が混じっていた。これは葬るときに花を供えていた証しだという。だから類人猿は死ぬということを知っていたようだ。ヒトと類人猿は地続きかもしれないが、サルと類人猿は分かれているといえそうだ。 ではなぜヒトもサルも類人猿もからめて霊長類と分類するのだろう。そのように分類したほうが都合よい事象が動物生態学のような分野ではあるのだろうか。 元にもどろう。ヒトだけが死ぬということを予め知っているという存在だということ。これは苦しいことであると思うが、このことが単に生きている生物と違う点となると、この苦悩がヒト存在にとってどんな意味をもつのか、気になってくる。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2008-03-14 00:34
| 魂のこと
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Comments(2)
面白いですね。人は死が存在することは知っている。しかし、死そのものは知らない。そういう引き裂かれた場所、不可能な場所にこそ、人間の「理性=苦悩」はあるのかもしれません。
ところで、yamatoさんは、ヒトには(サルにはない)知性があり、死が存在することを知っているからこそ苦悩がある、という考えかもしれませんが、僕は、その人間だけが持つという理性の特性の方にもっと注目してみるべきだと思っています。というのも、理性を持ってるだなんて、高級動物として威張っているフリをしていても、人間の理性なんて、かなり中途半端で未熟なものだと思うんです。例えば、人間の理性には、死の存在は知っていても、死自体は知れないという限界があります。僕は、おそらく理性にそういう構造的限界があるために、人間の苦悩があるような気がするんです。要は、死の内容すらも知ってしまう理性があるならば、苦しくはないはずです。死の存在は知ってても、死の内容を知れないからこそ苦悩する。死を知っていれば、怖くはない。少なくとも、ここまで恐れはしない。
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そう考えると、「私とは誰か?」という問いを、その当の「私」自身に問うことが出来るのも、人間ならではの悩みではないでしょうか。「私は誰なんだ?」と、「私」に問うことの苦悩も死の苦悩と同じ構造から来ている気がします。私なんて知りようがないのに、私があることはどこかで確信しているから辛い。
つまり、それは問いを発する主体と、問いの対象になる主体が分裂しながら(矛盾しながら)同時に「この私の中」に存在する苦悩です。理性は時として、そういう風に人間を引き裂く気がします。 あるシステムの内部にいると、世界は無限に続くように見えて、一方でそれを客観的に見れば、世界は有限にも見える。カントが「純粋理性批判」の中でやりたかったことは、そういう理性の矛盾をつくことだと思うんですが…考え出すときりがないですね。長文失礼しました。
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