心の冷えのぼせ
ほてりと似た症状に、冷えのぼせがある。体のほかは冷えているのに、首から上が妙に熱い、火照ったりする症状だ。これは体が冷えている状態の一つであって熱の運搬にトラブルが起きている証となる。
今、私は多忙だ。20日のオンエアーを目前にして最後の追い込みに入ったのだ。
忙しいことは嫌ではない。仕事が減ったといってこの2年間ぐずぐず言っていたのだから、番組を形にしていくことは、いつもなら心弾む仕事のはずだ。忙しいのに、心の芯が冷えている。なぜだろう。淋しくてたまらない。
何があったわけではない。ただ、知人が一人二人と他界していく。別離の日が近づいていると感じている。私なのか、他の人なのか。
人は、いや人の世はたえず常ならないもの。無常ということか。けっして同じところで止まることはないのだ。会うが別れのはじめとか。
近松の「曽根崎心中」の一節を思う。
この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば、
あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ
あれ数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残る一つが今生(こんじょう)の
鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽(じゃくめつ いらく)と響くなり
ここに流れる気分は、冷えのぼせの逆か。死地に向かうという低落する気配とはうらはらに旅立つ二人の心は高揚しているのだ。
人の存在とはまことにフシギだと感に堪えない。
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