最初の目
3月3日、晴れ。さほど寒くない。西日本では黄砂被害が出ている。
馬入川鉄橋から箱根方向を望むが、富士の影はまったく見えない。これも黄砂の影響だろうか。
朔太郎の「猫町」は小品ながら佳作だった。作中、形而上とかフィロソフィとかの語が飛び交っていて、朔太郎が哲学に少なからず関心をもっていたことがみえる。
見知った町でも表玄関から入らず裏から滑り込んだりすると、左右、上下がさかさまになってまったく違う印象をもつことを朔太郎は描く。陰気でぼんやりした町並みでも、普段と違う進入をすると、輝かしい晴れ晴れとかつしっとりとした気分のいい町になってしまうというのだ。
例証として朔太郎は夜行電車の話を持ち出す。
夜、電車に乗ってうたた寝をすることがあろう。ふと目を覚ますと、一瞬、電車の進行方向が自分が把握していたものと反対になっていると、感じることがある。寝ぼけてということではあるまい。認識の立ちくらみのようなものだ。見当意識が混濁する。目的地からどんどん離れていく不安感を抱いたことがあると、朔太郎が記すが、この心境は分かるなあ。
これとよく似た現象で、町を最初に見たときの印象が後になるとまったく違うということがある。長崎に初めて入ったときがそうだった。
昭和57年の夏、夕暮れに浦上から長崎まで電車が入って行ったとき、左右両側の山には光の波があった。山の上のほうまで灯りが点々とついて、まるで宝石箱をひっくり返したかのような美しい夕景があった。
それから4年間長崎に住むことになるが、この最初の印象は二度と味わうことはなかった。
台湾もそうだった。夜行便で激しい雨の中に降り立って、空港から台北までリムジンで走ったが、あのとき見た濃厚な夜の闇は忘れられない。次の日から見物した台湾はあの高貴さは消え、白茶けた南方の雑然としたミヤコでしかなかった。
もう少し、最初の目の思い出に浸ってみるかな。
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